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薬にも毒にもなるなら、せめて薬になる言葉を紡ぐ。


私はこれまでnoteの音声配信から始まり
stand.FMさんでのラジオをお届けするようになり
これまで通算50本以上のラジオを配信してきました


ふだんはnoteのエッセイを主軸においているので
私の読者さんや、他のnoterさんのなかで
ラジオを聞いてくださっている方って
実はとても限られた方だけなのですが

それでも温かいコメントをいただいたり
いつも聴きにきてくださる方もいらっしゃって

それがとても嬉しくて続けることができています


なにより私は
こうやって人前で即興で話すことや
自分のパーソナリティーを発信することが好きで

聞いている方がいてもいなくても
懲りずに続けている理由は

「話すのが楽しいから」という

とても単純で真っ直ぐな思いを持ち続けているから
だったりもしますが


リスナーさんからは
「優しくて丁寧で聴きやすい声ですね」
と言っていただけることが多く

嬉しくて鼻の下が伸びきってるわけですが

幼い頃の私は自分の声が
コンプレックスでしかなかったのです


「ぶりっ子してんじゃねぇよ!」
「声が大きいから内緒話できないじゃん」


学生のころに同級生から
そんなふうによく言われていました


まわりの大人からは

「いつも大きな声で上手に話をまとめて話すね」

とお世辞なのか甘やかしなのか
はたまた本心なのかわからないけど

よくそんなふうに褒めてもらっていたのに

思春期を迎えると
自分と同年代の人とを比べるようになり

「他とは違うこと」に対して
どんどん自信をなくすようになっていきました


主張をしすぎても
しなさすぎても良くないし

声が大きくても
声が小さすぎても良くない

そして私のこの舌っ足らずな喋り方は
他とは違って可愛い子ぶってるように聞こえるらしい


小さな田舎町の学校で
小学校も中学校も、なんなら高校まで
同じようなメンツで過ごすことになるわけですから
悪目立ちするのだけは嫌でした


私はそれを恐れて
どうにかまわりに合わせて生きることを選び

次第に大きな声の出し方も
上手な話し方もわからなくなって
人前に立って話すことが何より嫌いになりました


コンプレックスやトラウマというものは
自発的に生まれるものではなくて
人からの心無い言動一つで
簡単に植え付けられてしまうものなんです


今の私に言わせてみれば
「そんなこと気にする必要ない」って思うけれど

子供たちの小さなコミュニティーの中では
”人と違うこと”が何より良くないことで

そのレッテルを貼られてしまうことを
とても恐れていたのです


”そんなことで”と思うでしょうか?


あなたの言う”そんなことで”
誰かの心を殺めることもできるんです


そして反対に
誰かの心を生かすことだってできるんです



私が高校を卒業し田舎の街を出て
都内の学校に通い始めた頃のこと


同級生の女の子にこんなことを言われました


「とっても綺麗な声をしてるんだね」


そう言ってくれた女の子からすれば
何気ない一言だったかもしれないけれど

私はそれがとても嬉しかったのを
鮮明に覚えています


私の過去や知っているわけでもなければ
自分の声をコンプレックスに感じていることも
知らないはずなのに


その言葉の裏に


『人と違うことは決してダメなことではなく
むしろそれが個性なんだよ』


そう言ってくれたような気がして

その言葉一つで
私のなかに渦巻いていた重苦しいものが
一瞬にして解かれました



『言葉は時に毒にも薬にもなる
だからできることならば薬となれる言葉を紡ごう』


これは私の座右の銘の一つです


いま私がこうやってラジオでお話しているのは
声も心も押し込めて殻にこもっていた時間を
取り戻しているような気もしていますが

なにより

誰かの心をほんの少しだけ癒す薬となるために
言葉を紡いでいるのだと思います



どうか自分の心を痛める言葉を聞かないように

自分を蔑む言葉を自ら紡ぐことがないように

ただ自分のことを甘やかして励ますことができる
そんな言葉だけが貴方の耳に届くように


わたしはラジオを届け続けます


一人でも多くの人にこの思いが届くように
今日はエッセイという形で
ラジオに対する私の思いを綴らせていただきました


花崎由佳の「ちいさなおうちꕤ*.゚

こちらのチャンネルでは
皆様のためになるかもしれないお話を
ゆったりまったりお話しするラジオです
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ


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