彼の地に暮らす

新年をフランスとスペインを跨ぐピレネー山脈に抱かれたフランスの小さな山村にて迎えた。パリ近郊から南下すること約900km、東京からなら島根の浜田辺りだろうか。彼の地に2年前に越した友人を訪ねて、山へ向かった。

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アーティストである友人と出会ったのは、20年前。大阪の美術館で仕事をしていた時。20代の終り、お互い若く、まだまだこれから何でもできると思っていた。 「それが、20年後、こんなところにいるとはね〜」 彼女は細い山道の運転と薪のくべ方、北ドイツに移った私はドイツ語の習得に勤しむ。

二人とも、30代を迎えた頃に前後して、アートを志してフランスへ赴いた。パリで久々に再会したのは出会いから7年ほど経った頃だろうか。蚤の市をひやかしながらサンドイッチを頬張り、とても幸せな気分になったことを覚えている。「ほんとうならおしゃれして、素敵なカフェでランチ、といきたいところかもしれないけれど、30半ば過ぎて、こうしてサンドイッチ一つで幸せになれる私たちも、悪くないよね、、」みたいなことを言い合っていた気がする。

キラキラしているようにみえるパリでの留学生活も、実際のところはその場しのぎの奨学金や不安定で微々たる収入、先の見えない不安感で、暗澹たるものだ。が、それでもこうして時を経てもすっと心を通わせる友人がいることが、お互いに新しい地で道を切り拓こうともがき、それを共有できることが、どれほど励みになり、支えになったことか。

ピレネーの山村でも、彼女はまだ幼い子どもを育てながら、ゆっくりとしかし着実に、道を拓いている。フランスの地方、しかも山の中といえば、さぞかし人々は閉鎖的で生活も不便であろうと、お節介ながら気を揉んでいたのだが、パリや都会からの移住者も多く、そういう移住者を受け入れる体制のある村の人々とは、意外とうまくやっていけているのだという。パン屋一つない村での生活は、逆に消費行動にとらわれていた自分から解放されて、自ら生産することへのきっかけになったそうだ。畑を耕して野菜を収穫し、ニワトリを世話して卵を得る。暖をとるには薪を割り、火を入れる。近頃はやりの地産地消といえば、それまでかもしれないが、大事なのは、そういう気付きが毎日を生きる中から出てきたことではないだろうか。一つ一つ、必要なものを自分の手で生み出しながら生活することは、彼女のアートの仕事に対する取り組み方へも地続きで変化をもたらしているようだ。

毎朝、目が覚めて外に出ると、家の前にそびえる山が毎日違う表情で迎えてくれる。それで友人は「山よ、ありがとう」と思うそうだ。いつもここにある、自分を迎えてくれる存在がある安心感。山は決して動かない。気高く屏風のように拡がるピレネー山脈-その山並みの向こうは別の国、と明らかに国境があることに納得がいく。とはいえ、山あいの村々の店や市場、そこここでスペイン語を耳にする。険しく不動にそびえる山の懐の中、その谷間に沿って私たち小さな人間は、こうして幾年も行き来してきたのだと、激しく胸を打たれた。

ヨーロッパ大陸の北と南。かつて地図上で目にはしても、いつかそこを訪れることがあろうと想像すらしなかった彼の地に、なぜか縁あって暮らすことになった私たち。例えば30年後、体が自由に動かなくなった時に、この地に、それこそ骨を埋めていいと思えるのだろうか。どうだろうか。あるいはまた別の地に移っているのだろうか。どこで暮らすにせよ、その地の自然を受け入れ、そこで紡がれる小さな人間たちとの交流があれば、なんとかやっていけるのではないかと、自らに言い聞かせている。


記 2020年1月22日


*文章中の友人、アーティスト保科晶子さんのInstagramは以下の通り:

INSTAGRAME AKIKOHOSHINA
https://www.instagram.com/akikohoshina/?hl=fr

INSTAGRME AKIKO DANS LES PYRENEES
https://www.instagram.com/akikodanslespyrenees/?hl=fr




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