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精神障害者の一人暮らし日記〜わたしの学習障害・算数編〜

こんにちは、神戸ポップです。

アルバイトが全然決まらず、面接予定の会社からも連絡が来ず待機姿勢。

不安定なため、お家に行けてません。

そろそろ郵便受けを見に行かないとな、という感じです。

さて、今回は私の発達障害である、グレーADHDではなく、グレーLD(限局性学習障害)について赤裸々にお話ししていこうと思います。

振り返ると、学習ではまず算数の引き算でひっかかり(苦手レベル)、割り算で意味不明となりました。

小学校低学年はずっとオール3(3段階)でした。

ですが中学年から算数が複雑になり、割り算で成績は一気に降下。

記憶が定かではありませんが、確か1を取ったんじゃないかと思います。

これにより、家では正座させられて、父親からはこう。

「お前、次に1より上が取れなかったら、夏のディズニーランドはとりあげだ」

なんて。

不思議なもので、いまだにですが、割り算という概念がわからないんです。

説明がつかず、もう、そうとしか言えません。

だから当時も、なぜそんなに怒られるのかが理解できませんでした。

さらには文章の読み取りも苦手ですから、文章題はほぼ加点なしです。

「リンゴを何個〜」は系は、イメージができませんでした。

いよいよ放課後に呼ばれて残るように。

次第にアホ呼ばわりしてくる男子がいたのも覚えていますね。

父親にも「お前はアホだから口出しするな」とか言われていました。

そして中学に上がり、算数は数学となり、さらに難解に。

進学校でしたが、実は学校では50〜60点取れていたんです。

しかし塾でとうとう30点を取ってしまい、先生にバインダーで頭を叩かれたこともありました。

バコーン。

視界が真っ白になったのを鮮明に記憶しています。

今考えたらひどい話ですよね。笑

(これに関しては話し出すと多々ありますし、国語や運動障害もありますから、またどこかで話せれば)

ところが、知識はいくらでも詰め込めますので、社会科はだいたい90点以上取れていました。

しかし上がいくらでもいるので、5が取れないんですね。(5段階)

皮肉な話です。

唯一5を取れたのが美術でした。

でも私は、頭を使わない教科で5を取れても、何にも嬉しくはありませんでした。

成績表の平均点がちょっと上がって、親から怒られるのが減ったかな、と安堵したくらいです。

LDを含む発達障害は、脳の機能障害なので一生治りませんし、すごく生きづらいですが、どうにかやっていくしかありません。

焦ってはしまいますが、焦らず、できることからやっていくしかないですね。

国語や技術家庭、音楽、体育など幅広い分野でも凸凹はあったので、またお話しできればと思います。

それでは、お読みくださりありがとうございました。

おわり

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