リサイタルを終えて②
珍しくシリーズ化にしてみましたが、どれくらいで終わるのかは謎です笑。
4回も開催することができたリサイタル。
基本的には本番1週間前は弾き籠っていて、疲労も溜まってネガティヴ思考で表情もげっそりして、体重が落ちることもしばしば。
"リサイタルダイエット"という言葉があるくらいです、それだけ気力体力を消耗するリサイタル。自主企画でもただただしんどいリサイタル。精神修行に感じるリサイタル。私の好きな曲ばっかりのリサイタルだけど、プログラム構成をお客様目線でも考えつつ、それでも全ては自分が成長するために…なリサイタル。
今回もきっと、そうなるだろうと思っていたのです。
が、しかし。
今回は過去のリサイタル準備の中で群を抜いて上記のような重苦しい気持ちが少なく、とても軽やかな気持ちで満ちていました。
もちろん不安もありますし、
過去に弾いたことがある作品に改めて取り組むにしても、完成度を上げて表現を含めて前にできなかったことをやれるようにするにはそれなりの時間と労力と色んな蓄えが必要です。
なぜ、こんなに違う感覚がするのか。
それはおそらく上半期に思考癖、物事の捉え方、自分自身を大事にすることなど、かなり自己改革したのでその影響が多かったと思います。
そして運動習慣を身につけていることも大きいかと。
色んな要素が好転して、演奏会本番の時間についても、ふと気がついたら
あれだけ準備の時間と労力をかけたからなのか、
本番のあの時間、瞬間、全てが刹那的で愛おしいと感じられるようになったのです。
あの瞬間でしか生まれない何か。
あの瞬間を演奏者だけが体感するのではなく、
あの空間に存在している全ての方々と
生まれては消える一瞬一瞬を共有できることが、とても尊くて愛おしくて、そして儚く感じるようになりました。
私が演奏した曲の中でお客様にとってお気に入りが見つかれば、その曲がそのお客様の記憶に残り、ときには心に寄り添ってくれたりもする。
そのようなきっかけを作れるのであれば演奏の甲斐はもちろんあるし、こんな私がそのようなきっかけを作ることできるなんて嬉しいことだし、少し大袈裟ですがこれも社会貢献と考えれば、私もまだまだ生かされている意味があって、演奏すること指導すること、これらが使命なのかなとも思えます。
あんなにリサイタルに対して、ましてや人前で演奏することに対してネガティブな考えを持っていたのに、このような思考の変化が見えて私自身も驚いています。
しかし、物事はネガティブポジティブ含めて全てベストなタイミングでやってきます。
この変化はこのタイミングでしか出来なかった。
色んな出来事を経て、このタイミングでしか尊さ愛しさ儚さは実感できなかった。
この気づきですら愛おしい。
なんとなく、しばらく数年リサイタルやらないだろうなと思っていましたが、やる気をチャージしてまた、新たな一歩を踏み出していきたいと思います。
シリーズ化、これで終わり笑。
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