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面影さがし

近頃は、フォトアルバムがご親切にも「何年前の今日」やら、「〇〇さんとの思い出」などという写真を見せてくれる。暇に任せてチラッと開いてみると、家族旅行の思い出や小さい頃の子どもの写真、猫たちの仔猫時代などにほっこりさせてもらうこともある。

そんなふうに、忘れかけていたその時代の姿をはっきりと画像でみせてもらいながら、思い出や記憶の輪郭を薄れさせないようにしていくことができる文明の利器には感謝しきり。

一方、数カ月前に久しぶりに娘に再会した際に感じたこと。間もなく新成人という年齢まで成長し、すっかる背丈も大きくなり、一人暮らしで精神的にも強さを増したその姿を眺めつつも、ヒースロー空港のあちらから歩いてくる姿の中に、私の目が探しているのは、シンガポールのチャンギ空港で何度も見た小さなころの面影だったことに気づいた。

うんうん、あの表情は変わっていないな、とか、ああやって手を振る感じは同じだ、とか。どうしても、大人びた姿の中に、子どもの頃の面影を探してしまうのだった。メイクバッチリのその表情の下にある素顔、すっかり気を抜いた寝姿、美味しいものを口にしたときの笑顔など、変わっていないな、という喜びは、親としての密かな楽しみなのかもしれない。

小さかった頃に戻って、会ってみたいな、と思うことがしばしばある今日この頃。大きくなっていく中に、あの頃の姿を探す楽しみはまだまだ続けられるじゃないか、と自分に言い聞かせている。

もうすぐ帰ってくるぞ。水無月生まれの新成人と乾杯するのが心から楽しみだ。

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