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小さな花が好きなのはー

キョロキョロして、あれこれと次々に興味を持ってしまうところは、子どもの頃から今まで全く変わらない。と言っても、なんでもかんでも見ているわけではなく、視界に入って見えていてもまったく記憶に残らず素通りのものと、ぼーっとしながらもそれだけはじっくりと味わって、その後もずっと頭の中に残るものがある。

自然が好きだ。空、雲、山、川、湖、海、小さな池、森、樹木、草花、そこに暮らしている生き物たち。山歩きをするわけでも、キャンパーでもダイバーでもバードウォッチャーでもないが、コンクリートよりも土や木の割合が多い場所にいる方がホッとするのは昔からだったように思う。実のところ、私の場合のそれは、のんびりとした空気が好きだ~、といったものとは少々異なり、自然の中に身を置くと、その夥しい情報量に圧倒され、何から見ようか、何を感じ取りたいのか、わけがわからなくなる、それが好きなのではないかと思うようになった。どうせわかりようがないのだから、分かろうとしなくていい、ただそこにいれば、という。

味わい切れないものたちの中で、特に惹かれるのは小さな花のようだ。小さな花を見つけると立ち止まり、しゃがみ込んで、触れてみたり写真を撮ったり。今時は、詳しい人にいちいち聞かずとも、その花の名前を教えてくれる便利なアプリもあり、調べた名前をぶつぶつと呟いて覚えることもできる。なかなか覚えられないけれども、何度でも調べ直して、また呟く。そして、新しい名前を覚えると嬉しくて、その植物を見つけるたびに、あ、〇〇だ、とまた口に出す。

幼稚園の頃に住んでいた家のベランダには、赤いゼラニウムの花がプランターに咲き、遠くから見ても、あそこか私の家だとすぐにわかった。母は、若い頃に見た、イタリアの街角のアパートのバルコニーに咲くゼラニウムの色どりが美しいと感じて、自分もそうしてみようと思った、と後になって話してくれた。小学生になって引っ越した家の庭には、さつきやバラなど季節の花が咲いた。母がアブラムシが付いたことを嘆いたり、夏の暑い最中に雑草取りをしようと言われて、いやいや手伝ったりしながらも、その雑草が咲かせる可愛らしい小さな花を集めて、ミニチュア花束を作ったりしていた。

その次の庭には、母の植えた紫陽花、椿、ハナカイドウの他、シンボルツリーのミモザの木も大きく育ってゴージャスな花を付ける。孫たちの誕生樹の梅や蝋梅も毎年楽しませてくれるし、下を見ると、紫蘭、クリスマスローズ、シクラメン、ビオラなど。忙しさにかまけて庭を見ることの無い家人のために、母が庭先から切って来た花を玄関やテーブルフラワーに生けておいてくれるのが何よりも嬉しかった。

そうだ、家にはいつも花があった。
そこから季節を感じたり、それに合った掛け軸や、額の色紙を入れ替えたり、都会で暮らしながらも、そうやって小さな自然を生活に中に取り入れてくれていたからこそ、こんなふうに自然の中に身を置くことが好きになったのではないかと、ふと思ったので、母への感謝の気持ちを込めて、書きつけておくことにした。



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