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どんどん変わる

この先の世界が一変した、と言うが、そもそも、この先の世界がどういうものか、どうなっていくのか、なんてことは、誰も知らなかったのではないか?と思う。実は、そのようになると決まっていたのか、いやいや予定変更になったのか、ということすら、本当は分かりようがないはずだ。

君子豹変す、という言葉が好きだ。昨今、これが悪い方の意味で捉えられ、昨日と今日とで言うことが変わると、偉い人ほどそれがいけないことのように追求され、そのような場合に引き合いに出されたりする。また、「ブレない」人、というのが美徳のように持てはやされる。

オリジナルに忠実に、「易経・革卦」の「君子豹変す、小人は面を革む(君子が過ちを改めることは、豹の模様のようにはっきりしている。 しかし小人はただ外面を改めるだけである)」に基づくならば、「おっと、想定していたのと環境や条件が変わってしまったぞ。よしっ予定変更だ、こうしよう」や、「昨日こう言っちゃったけど、よくよく考えたら一つ大事な要素を忘れていて、やり方を変えなきゃいけなくなってしまった、ごめん!」ということを良しとしているはずだ。

とすると、今これを書いている30分後に何が起こるか、明日はどんな日になるか、来年の今日、私は何をしているだろうか、なんてことは、ほぼ誰にも分らないのだから、みんな揃って、どんどん変わっちゃっていいのではないか?やっぱりやーめた、とか、気が変わったからこうするね~、とか。

逆に言えば、それができないこと、そうする勇気が無いことこそ、大きな失敗につながったり、それ自体が問題だったりするのではないか。一度、このように決定し、発表してしまったからには、止めたり変更したりするわけにはいかない、と、状況がどんどん変化、時には悪化していく中で、「ブレない」をやっていることほど、バカバカしいことは無い。自己宣伝のポスターにこんな文言を入れている人には気を付けた方がいいと思う。

振り返ってみると、私たちは子どもの頃から、「コロコロ言うことを変えるな」とか、「一度言ったら最後までそれをやれ」とか言われて来なかったか?一定の状況のもとでは、それも一理あるが、これほど変化が早く起こる社会の中を泳いで行かねばならなくなった現在、はっと息継ぎで顔を上げてみたら、周りは一変して油膜に覆われていた、なんてことにはならないか。

個々人が、自らの眼でよく見て、情報を収集・取捨選択し、よく考え、その状況や環境に適した行動を選択する、柔軟な思考と行動、即応性がより求められているのではないかと感じる。

増してや、一国のリーダーには、揺るがない自らの判断基準を持ち、☜これが「ブレない」の本当の意味!、集中的に集まってくる精度の高い情報や分析結果を含む提言を最大活用し、自ら考え、その時最善の発言・行動をして欲しいと思う。それが、その国のこの先を決める一因になり、且つその国の姿として世界中に映るわけなのだから。

それが出来ないならば、即刻選手交代だ。

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