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奪われたものと与えられたもの

今年の2月、あちらの国で新型コロナウィルスがそう呼ばれる前の状態で蔓延し始めていた頃、まだギリギリ大丈夫でしょう、という見切り発車で、ベトナムのダナンを旅行した。クアラルンプールからダナンに向かった機内では、マスクは当然のことながら、トイレに立つ時は手袋までして、細心の注意を払って移動。現地についてからも、食器など直接触れるものは、除菌してから使い、観光のバスではマスクを外さないなどの対策をし始めた頃だった。

現地で予約した古都フエ行きツアーのガイドさんは、日本人ですか?それなら安心ですね、と言ってくれて、自分たちもちょっと安心したり、一緒になった韓国人観光客のカップルとも仲良くなり、一緒のゴンドラに載って楽しくおしゃべりしていたが、後になって、彼らは大邱(テグ)から来たと言っていたなあ、と思い出しつつ、ええっ、大邱でコロナ大発生したじゃない、あの直後に!と、ドキッとしたのだった。

その後3カ月間マレーシアのキャメロンハイランドで過ごし、5月中旬に日本に帰国。数カ月もすればマレーシアに戻れるだろう、遅くとも年内には、くらいの気持ちで家を空けて来た。あれから半年。この先の目途は立たない。猫3匹を家に残し、あちらの友人に面倒を頼んでいる。猫たちも心配だが、やはり世話をしてくれている友人にも非常に申し訳ない。除湿器はつけてきたが、あの霧の中に住んでいるような高地のこと、洋服や家具などカビているのではないかと想像。一日でも早く、1週間でもよいから一度戻って掃除したい。

さて、そんな私、母親の泣きごとよりも、ひとりでぽつりと留学先で寮生活をしている16歳の娘の話。学生ビザを持っている彼女は、年末年始の休暇で帰国しても留学先の国に再入国できる(学校によるそうだ)ことになったが、検疫のための14日間の隔離は免れない。わが家は、短い冬期休暇は、帰国無しということで決定した。本人曰く、ホームシックは全くないそうだ。日本に帰国したらしたいこと、食べたいもの、会いたい友だちはたくさんいるけれども、逆に帰国してしまったら勉強に集中できなくなる自分も想像できるから、帰国したい、とはそれほど思わない、とのこと。ほう。

しかし、最近、ストレスからか、時々身体が震えることがあるというではないか。はいはい、それ、ストレス性の自律神経失調症でしょう。本人なりに原因も、分析していて、対面でのインタラクティブな授業で学ぶことが好きで自分に合っている、と水を得た魚のように勉強を楽しんでいたところ、突然のコロナ禍、少し遅れて春休みが明けてオンラインで再開した学校。夏休み明けには、週の半分が対面授業、残りはオンラインという隔日交代でクラスの半数ずつが登校するスタイルに。どうしてもリモートモードだと集中しにくく、同じことを学んでいてもすっと入ってこない。折角、湖に面した広いキャンパスで、楽しみにしていたバスケットボールの授業や試合も出来ず、校外の自然の中でのキャンプなども中止。自分の寮以外の寮には立入禁止。クラスが半分に分けられ、もうひとつのグループにいる友だちとは自由に会えない、などなど。放課後や週末に街中のスタバに勉強しに出かけることも、出来なくなり、16歳になったことだし、とやってみたかったアルバイトもできない。旅行も出来ない。と強制引きこもりのような気分になっている様子。

ここまで書くと、本来なら出来たはずのこと、やりたいのに出来ないことの列挙になる。随分といろいろなことを奪われてしまったね、かわいそうだ。そうだね、ほんとに、いやだねえ、と言うしかない。しかし、待て。学生で良かったね。先はまだ長い!本業の勉強はいくらでも出来る。時間が無くて出来ないんだ、と言っていた、ギターの練習や、Youtube動画の制作なんかのために籠っていても誰も文句を言わないんだよ。読みたい本を読む時間もある。幸い、美しいキャンパス内は走り回れる。ジムもある。それらぜーんぶやり尽くして、もうすることが無い、ここから出たい!となったら、また考えよう。

将来、16歳の時のことを振り返った際に、あの時の自分は、特別に与えられた貴重な時間を充実させることができたな、あの時があったからこそ今がある、と言える自分であるために。

と言ったからには、母もそう考えてこの時間を過ごすよ。次に会えた時のおしゃべりが楽しみだ。

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