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私の背骨のはなし その2

「ミルウォーキー装具」という名の鉄鋼コルセットのような鎧を着て通学するようになった。徐々に慣れてはいったものの、中学2年生女子が普通の学校生活を送るには、時々ちょっと難しい場面があった。着替えをしなくてはならない体育の授業は、身体が曲げられないので時間がかかり、授業に遅れることが多かった。先生に説明しても、遅刻するな!言い訳するな!と怒られ、唇を噛んだ。走ったりボールを投げたりも、元々苦手な上に、さらにやりにくくなり、どんどん嫌いになった。

そんな中でも、顔がパッと明るくなるような嬉しいこともあった。床に消しゴムなどを落としてしまって、拾おうと前屈すると装具のプラスチック部分が恥骨のあたりにグッと刺さって痛い。それに気づいて、サッと無言で拾ってくれる友だち。体育の先生に後から来ること説明しておくね、と言ってくれた友だち。背中側にあるネジが緩んでしまったな、と思っていることを察して、締めればいいだけでしょ、と席に座ったまま、時々後ろから締めてくれたのは、大分ワルかった男子。優しい人だな、と知った。

そして、ある日、家庭科室での授業中、4人で1つのテーブルを囲み、背もたれの無い丸椅子に座って先生の話を聴いていた。授業が終わるとすぐに、ちょっと厳しい年配の女性の先生に呼ばれた。なんだろう?と思いながら行ってみると、椅子で座っている時、ゴソゴソ動いて辛そうだけど、腰が痛いの?と。はい、こういう装具を付けているので、プラスチックが身体に当たって痛いので、後ろに寄りかかるように座りたいのですが、背もたれが無いと倒れてしまうので、バランスを取っているのが、と説明。すると、先生は、それは脊椎側弯症なのね、もしよかったら私が時々通っている整体に行ってみる?と言って下さったのだった。小さな古いアパートの1室で、無理にはお薦めできないから、まず行ってみて、もしあなたがよかったらにしなさいね、と。

その頃、整体やマッサージのことなどに考えが及んでいなかった私には、目から鱗だった。はい!是非紹介してください、と言って、すぐに母と一緒に行った。が、見つからない。今のようにグーグルマップなどが無い時代、先生に伺った住所を電柱やアパートに貼り付けられた番地を見ながら探して歩きまわり、あった!えっ、どうする?ココみたいだけど、入る?と、ちょっと尻込みするような、古めかしい小さなアパートの1階の端の一部屋。ドアは開け放され、外にも丸椅子。扇風機がまわっていた。

恐る恐る、すみません、初めてなのですが、K先生のご紹介でー。すると、治療中だったおじいさん先生が顔を出してくださり、どーぞー、ちょっと待っててね~。お話は聞いてますよ、と。それはそれはとてもシンプルな治療用の台にうつ伏せになって、背中を診ていただくと、ああ、こうなっているのね、はいはい、大丈夫ですよ。痛いの?腰?そうか、じゃあ、できるだけ痛くなくなるようにしようね、自分の身体なんだから、一生一緒に付き合って行けるようにしましょう、と言われた。

嗚呼、この先生ならきっと助けてくださる。そう感じた。学校の帰りに毎日来られる?できるだけでいいから、と。はい、毎日通います!その日から、そのアパートの1室に寄ってから帰宅する、という日々が始まった。中間・期末テスト前もテスト中も、待合室(というほどではない、椅子があるだけの場所)でノートを読んだりしながら過ごした。大人よりも短い、15分から30分くらいの時間、湾曲している側の、硬くなってきていた筋肉をほぐして最後に骨をグウッと押すような操作。凝り固まった筋肉が楽になるのが感じられたし、何よりも、これが自分の身体なんだからこれでいいんだ、と受け止められるようになっていった。

日本では、西洋医学以外のそういった操作を、本当は治療とは呼べないのだが、おじいさん先生の治療は、私の骨と硬くなっていた筋肉、そしてカチカチの心を柔らかくしてくださった。装具?要らないよ、もう付けなくていいから。という、最初の日の一言が、がんじがらめになっていた何かから私を解き放ってくれた。これは、明らかに「治療」だった。

その先生は、目黒のゴッドハンドと呼ばれていて、有名人なども紹介でちょくちょく来られていることは後から知った。しかし、社会人になって久しぶりに行っても、ずっとそのアパートの1室で、エアコンが付いたのは大分後になってからのこと。窓を開け放して扇風機。良く言えば、バリかハワイのリゾートの屋外スパのような風が流れていたからこそ、身も心も解き放たれる感覚が得やすかったのかもしれない。そして、それもこれもおじいさん先生のお考えだったのに違いない。

子どもの私は予約など無いので、学校帰りに寄って、先生に呼ばれるまで、宿題をやったり、置いてあった女性週刊誌のゴシップ記事などを読みながらただ待っていた。ゴッドハンドは大人気で1時間以上待つこともよくあった。治療が終わって、ああ暗いな、バス停まで歩くの嫌だなあ、などと考えていると、先生が、今治療している〇〇さん、もうすぐ終わるから一緒に帰ってもらいなさい。美味しいラーメン屋さんを知ってるから連れて行ってもらったら?などと言われることもあった。家で夕食が用意してあるので、というと、お母さんに電話してそう言って、ラーメン食べて行きなさいよ、と。きっとあれもそうした方がいい、という何かお考えがあったのだろう、と大人になってから思った。初対面のおばさんと並んでご馳走になったラーメンは、とっても美味しかった。

つづく。



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