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私の背骨のはなし その3

中学2年から高校を卒業するまでは、ほぼ毎日、大学時代も通えるときにはできるだけ、そのおじいさん先生の整体を受けた。明らかに、盛り上がりつつあった右の肩甲骨周りと左腰の筋肉は柔らかくなり、山もなだらかになって、映画を1本動かずに座ったまま見ることが辛かった痛みも和らいだ。中学時代から好きになったスキーは、高校、大学と続け、日常のトレーニングや冬から春にかけての雪山での生活でも全く問題なく過ごせるようになっていた。スキースクールの2階の4畳半の部屋の押し入れの上の段を二段ベッドのように仕立てて、湿気た布団を敷いて、朝まで寒いまま眠る日々でも、腰が痛いとは言っていなかったのは、なかなかスゴイ。

最初に大学病院で、このまま脊椎側弯症が酷くなると、妊娠や出産もきつくなるかも知れません、と言われたことなど、すっかり「何を言ってたんだ?あの先生は」と笑い飛ばせるくらいに。海外留学中には、マッサージに通うことも出来なかったが、そういう必要があることすら忘れていた。

そうすると、恩人とも言えるおじいさん先生のところへの足も遠のき、社会人になってからは、腰痛や肩凝りを感じると、つい他の人の紹介の新しいところに行ってみるようになった。もちろん、整体、針など、その道のこれは!という方はさすがの技術で、痛みやその原因を取り除いてくださり、事足りていたわけだ。

実は、その頃のオフィスとおじいさん先生のアパート治療室は、徒歩の距離だった。当時は、深夜まで残業するのは当たり前、オフィスからそのまま出張できるような支度をしていたり、仕事が楽しく、20代だからこその頑張りで疲れ知らずで働いていたが、とうとう首から肩にかけてガチガチになって頭痛までに。そうだ、きっとおじいさん先生なら治してくださるはず!と、現金に思い立ち、電話をしてみると、番号は変わっておらず、アシスタントの先生が持つ受話器の後ろから、待ってますよ、はいはい、いらっしゃい、とあの声。

オフィス帰りにいそいそと、制服を着て毎日通った道を歩いてたどり着き、あの頃と同じように、こんばんは~、と入った。何も変わっていないその空間。先生の、昨日も来ていた人に言うような、はい、どうぞ入って~、の声。何も尋ねず、そっと首から肩に触れ、やはり治療するのは背中から腰。そして、最後に首と肩をちょろっと、カクッ。あ、痛くなくなった。以上。おじいさん先生は、もう痛くないね、またいらっしゃい、と、いつもの調子。お会計を済ませ、着替えて帰る時に、ありがとうございました~、さようなら、またきま~す、と言った私に、中学生のときと同じ言い方だね、それがいいんだよ、あなたは。(そこに置いてある)飴持って行きなさいね、と。もちろん、ひとついただきま~す、と口に入れて、軽くなった足取りでバス停に向かった。

その後、結婚式には、「主治医」という立場でご参列いただいた。同じテーブルには、中学高校時代の友人たち。皆くちぐちに、先生のことはたくさん聞いています!と話してくれたそうで、先生が笑顔で、よかったね、と背骨が曲がっているようには見えない私のドレスの後ろ姿を見ていてくださったことは忘れない。

つづく。


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