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私の背骨のはなし その9

最近は、肩が凝ったり腰が痛くなることもなかったが、久しぶりに、首にそっと触れるだけで痛いところがあることに気づいた。確かめるように首の骨に沿って触れていくと、左側が腫れているようにも感じた。こういうときは、すかさず目黒のおじいさん先生、ということになっていたが、今はもういらっしゃらない。ご長男とその息子さんが継いでいらっしゃるではないか、若先生のところへ行くべし。と思い立ち、お電話すると、急がないでゆっくりといらっしゃい。目黒の頃と同じだ。

到着早々に、首がこうこうで、顎の噛み合わせがおかしくて、だのなんだの説明する私。はいはい、と言いながら、どうかなあ、と、あまりそんなことは聴いていらっしゃらない様子がおじいさん先生と同じ。35年くらい前には、息子さんとはいえ、全然似ていらっしゃらない、きっとお母さま似なのだな、と思っていた。他の大勢のお弟子さんたちと一緒に診療のサポートをしていらっしゃった若先生。立ち姿、話し方、そして、身体に触れるときの感じまで、すっかりそっくりに。

コロナのこと、最近のこと、そして昔話などしながら、身体全体のバランスをゆるゆると整えていくやり方は、いわゆるマッサージに慣れた方だと物足りないのだろうな、と感じる。そして、痛いのは、ココという場所にたどり着いても、あれ?というくらいでまた対照する側にいってしまい、もっとその痛いところをお願いしたいのだけれども、と思いながら、ゆるゆるとされている感じも懐かしい、そう、これこれ。最後になってもう忘れた頃に、ココだ!というポイントをぐーっと一押し。その後、全体をパキパキッと整えて、両肩に温かい手のひらをポンッと載せられたらおしまい。明らかに身体のこわばりが緩んだことはわかるけれども、痛いところが治っているのかは不明、という状態で、お会計して帰るのも。

どうしたのでしょうねえ、と私が訊ねると、先生は、「たぶん。。。」と仰る。そうそう、こうこうだからここが悪い、とか、こういうことに気を付けて!とか、そういうことは仰らないのだった。人間の身体のことだから、よくは分からないけれどね、たぶん、こういう時節でみんな緊張したりストレスが溜まってきて、自律神経に影響が出てるんじゃないかな、と思うんだ、と。この春から、もちろんStay Homeで家で動かずにいるから、ということもあるだろうけれど、同じように首に痛みを抱えてくる人が段々増えているとのこと。なるほど、とお話しながら、先生に最寄り駅まで車で送っていただき、帰路についた。

その晩は、ぐっすり眠り、翌朝も起きたくなるまで眠り続けてみた。起き上ってしばらくして、すっかりと痛みがなくなっていることに気づいた。私にはこれなのだろうな。理由やら、どうしろこうしろ、ということよりも、まあそんなものだよ、とゆるく捉えて笑いながら、バランスを整えて、気構えずに、気楽に。それがなかなか出来ずにいたこのところ。「父が生きているうちは、尊敬はしていたんだけれども、それと同じくらい思いっきり反発していた、最後までずっと反発していた」と仰る若先生とゆっくりお話しし、お亡くなりになって3年、感じていらっしゃることなどを伺い、とうとう親子が繋がったのだなあ、と感じた。同じ手のひらになっていることも。お世話になっている私の勝手な立場から言うと、きっと、これで安心、おじいさん先生は、若先生を残していって下さった、と思えて、ホッとしたのだと思う。

そう言えば、と、S字だった私の背骨、昨年急に思い立ってレントゲンを撮ってみたところ、下の曲がりがほぼ無くなって、位置こそ少し左に寄っているけれども真っすぐだったんです、と若先生に話すと、そうだよ、父も以前にそう言っていたでしょう、と。実は、大人になって酷い肩凝りでおじいさん先生のところに何回か駆け込んだ際に、もうこっちは大丈夫、全然心配いらない。どこか痛いとか調子悪いなと思ったらまたいらっしゃい、と言われ、そのたびに、ほんとかな?先生、自信満々で。曲がっていたこと忘れちゃったのかな?励まそうと適当なことを仰っているのじゃないかな?とこっそり思っていたことを深く反省。レントゲンで見たりしなくても、中学2年生から学校帰りに毎日まいにち、凝り固まった筋肉をほぐして痛みを取り、少しずつ定位置に移動するように働きかけてくださったその手で、ちゃんとわかっていらっしゃったのだと。感謝しかない。

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