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【ゆる批評】お笑いフリークが考えるお笑いというホモソーシャルな世界

芸人さんの世界ってホモソーシャルな世界だよなぁ…。と思う。
2019年、相も変わらずバラエティ番組で活躍する芸人さんは圧倒的に男性芸人だ。М-1グランプリやキングオブコントなどメジャーな賞レースの優勝者は全て男性である。

こんなことを書いている筆者は実は超お笑いフリークで、月に1度は何かしらのライブに行き、芸人さんのラジオのヘビーリスナーである。
中学時代にはNGKで好きな芸人さんを出待ちしたり、高校時代は同級生とコンビを組んで吉本興業主催のハイスクールマンザイに出場した尋常じゃないお笑い好きだった。

だから、というわけでもないが、たまに「芸人の世界は男性優位だ!」という記事とかツイを見ると、少し冷めてしまう。いちお笑いファンとしては、「そういうものだよなぁ…。」と思わざるを得ない部分もある。
「優位」という表現自体なんだかおかしくて、
数に関して言うと、そもそも芸人を志望する男女の割合が圧倒的に男が多いのだから、その構造は半ば仕方ない。

だけど、今回はお笑いファンというよりも、いちフェミニストとして少し考えてみたい。

「容姿イジリ」は話芸なのか

そもそも、母体数(志望者数)が違うのだから、ホモソーシャルになりがちであることはむしろ自然なことなのかもしれない。(元をたどれば「人を笑わせる」こと自体が男性的な領域なのだろうか…という生物学的な疑問も湧いてくるけれども、いったんスルーする。)

しかし、たびたびお笑いの世界が「ホモソーシャル」であるとの非難を受ける最大の原因は「男性芸人から女性芸人に対する容姿イジリ」にあると思う。「ブスやん」とか「ブスのくせに」という枕詞があまりにも自然に使われているのは事実だ。

女性芸人自身もそれを売りにしている場合もある。自分が「ブス」であることを共通認識としておいて、
「イケメン俳優が自分に気があるのでは」とか「女優に似てるやろ」とか高望みと思われるようなことを発言することによって「ブスのくせに」というオチができる。
この繰り返しを私たち視聴者は、バラエティ番組のフリートークに限らずコントや漫才のネタにおいても、何度も目にしている。
正直うんざりという人もいるかもしれない。

人の容姿を笑うこと自体がもう時宜に合わない。
加えて問題だと思うのは、そのやりとり自体が、「話芸」と呼べないほどの短絡的なものであるからだと、私は思う。

2015年にM-1グランプリで優勝したトレンディエンジェルは、容姿自虐のネタだけれども、あのネタは別にハゲてない人がやっても笑えるのではないかと思う。つまり、たまたま話題は容姿だが、ネタ自体はすごく「うまいことが言えてる」のだ。

女性が容姿自虐をする伝統は吉本新喜劇ブームあたりからなのではないかな、と思う。
あくまで喜劇の中で「ブス」役を演じ、それを武器にしたお決まりの台詞(これも「うまいこと」に括られる高度な話芸であると思う)を言うことで笑いが起きる。

この伝統が、芸人さん達の中でフリートークの場でも踏襲されたことで容姿イジリは一般的になり、増産されるようになったのかもしれない、というのが超個人的な見解である。

一方で、あまりそういった容姿自虐を言わない女性芸人さんは、新喜劇と同じ西に多いような気がする。
上沼恵美子、ハイヒール、海原やすよともこ、なるみなど。
彼女達は、持って生まれた自分の顔について自虐を言うことはあまりない。それでいて、非常に面白いと思う。
彼女達は東京でいう「女芸人」の立ち位置よりも、比較的上から意見を言う。いわばご意見番的立場で、高度な話芸を披露する。(西のお笑い文化には女性が上に立てるほどの厚みというか、これまでの蓄積があるということなのかもしれない。)

男性、女性の「笑い」の需要の違い

フェミニズムについて書いていると、男性女性というつい超二元的な分け方をしてしまうが、
男と女は求める「笑い」が違うような気もして、それが昨今のホモソーシャルなお笑い、を作っている一因だと思っている。

平たく言ってしまえば、
女性にウケるのは上品なお笑い、
男性にウケるのは少し下品な笑い。

お笑いの歴史で比較的女性人気が高かった、と私が考えるのは、
(生まれる前だけれど)吉本印天然素材WESTSIDEなどの男性芸人をアイドル化したお笑いグループや、ピカルの定理などポップなユニットコント、漫才コンビでいうと、ミキや和牛などどちらかというと、佇まいも上品で大衆受けするネタをするコンビ。

どちらかというと男性が好むのは毒のある、ブラックな、そして性的なジョークも含むお笑いかもしれない。
ゴッドダンとか、くりぃむナンチャラみたいな深夜番組や、深夜ラジオなど、ゴールデンでは流せないようなきわどい話やマニアックな話が、どちらかというと男性にウケる気がする。

そして、お笑いに携わる人々は、比較的男性が多いのも事実である。
プロデューサーや、ディレクター、カメラマンさん、お笑いライター、放送作家。彼らの多くが、「男性」であることによって、
「女性ウケするお笑いはミーハーで、男性ウケするお笑いがホンモノ」というような意識がなんとなくライブに行ったりラジオを聴いたりすると思うことがある。

この意識のまま、
お笑い文化が形作られると、ブラックジョーク、性的な(しばしば女性蔑視的な)ジョークが「本流」になってしまう。

男女に「ツボ」の違いがあることも自然なこと。
しかしながら、容姿イジリや女性蔑視的ジョーク自体はもう笑えない。
それは、お笑いの世界に限らず一般社会でもコンプライアンス違反と言われるため、「容姿イジリ、性的なジョーク=×」という記号化は進んでいる。
視聴者の側も普段から「言ってはいけない」と教え込まれていることに対しては笑えないのだ。
また、それらが人を傷つけない言葉であっても、そこに芸人ならではの「うまいこと」を載せた話芸まで昇華させない限りは、ただ時代にそぐわない芸になってしまうという意識が少しでも広まればいいと思う。

p.s.
5 年ほど前のアメトーーク「オリラジ同期芸人」で、
ニッチェとオリエンタルラジオがロケに行ってあまり笑いが起こらなかった。それは、オリラジ2人があまり女芸人に対して容姿イジリをしなかったからだ、というエピソードが語られていた。単純に素敵だなと思った。

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