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たくさん挑戦すると人の挑戦に寛容になる

今年の3月からファミリー向け一棟貸しホテル「EHON HOUSE」をオープンする予定で、いま準備に奔走中。
ホテルのテーマは「絵本を通じた家族のふれあい」

3月にOPEN目指して大忙し。
のはずなのに、朝から白髪を30分位探してしまったし、
ピッコマでゴールデンカムイの続きを無料で読むべく広告を見まくっていた。時間の使い方が下手すぎる。

さて、今日はちょっと振り返りつつ、最近読んだ印象的な言葉について書いてみる。

挑戦すること

noteへの挑戦

EHON HOUSEとクラウドファンディングをやるにあたりnoteを始めた。
noteは私にとっては新たな挑戦で未知の世界だった。
ブログはやっているがnoteはわかっていなかった。
だが、実際にnoteをやってみると色々な人の等身大の記事が読めてとても面白い。書く側としてもSEOとかアフィリエイトとか意識する必要がないから楽。そんな中キンコン西野さんの記事を読んだ時に、
「僕は人の挑戦に寛容。なぜかというと誰よりもいっぱい挑戦しているから」という文章があり、なんとなく心に残っている。
挑戦に寛容になれない人はその人自身が挑戦していないからなのかな?
と初めて考えるきっかけになった。

子どもに挑戦しな!というけれど挑戦しない大人たち

子どもに「挑戦して失敗しな!」と大人は言う。
決めてかかっているようで申し訳ないけど、結構言っている人を見る。
けれど、その中のどれだけの大人が自分も挑戦しているのか?

大人になると
・恥ずかしいから
・安定がいいから
・今のままでいいから
など理由をつけては挑戦しない選択を選ぶことが増える気がする。
実際挑戦しなかったら失敗することはない。
恥をかくこともないし、損することも表面上はない。
誰かに笑われることもなければ、距離を置かれることもないかもしれない。

けれど、挑戦していない人間が他の人に「挑戦しな!失敗したっていいんだよ!」と言ったところで説得力は皆無ではないかと思う。
それに、挑戦したから見える景色や学びを得ることもなくなってしまう。

そう思うと挑戦しないことを選び続けることは虚しくも感じる。

話は変わるかもしれないが、最近子どもとスケートに行った。
「大丈夫!大丈夫!!氷の上やから痛くないって」と
半ば無理やり一人で滑らせた。こける子ども。
「痛い!!」て泣いていた。
大袈裟だなぁと思っていたら自分も見事にこけた。めちゃくちゃ痛くて、なんなら手首を痛めたし、大人が盛大にこけるのはなかなか恥ずかしい。
氷の上やから痛くない!
って決めてかかった自分を浅はかだったと思い、謝った。
挑戦して、失敗することは大人も子どもも痛い。
その痛さに大人だからも子どもだからもなくて、同じように転けないと分からない。

挑戦して失敗する大人であること


全力挑戦中のクラウドファンディング

なので私は個人的には挑戦して失敗してもいいスタンスでいきたい。
その方が誰かの挑戦に対して寛容でいられるし、
応援できるスタンスを取れる気がする。

子どもの挑戦や失敗に対しても「お母さんもやばい」と笑えた方が気が楽な気がするから。

というわけでクラウドファンディング4日目。
「リターン品の説明わかりにくかったかぁ」とか
「やっぱり人にお金を出していただくって大変なことだな」とか
「〇〇さんにクラファンのことメールで送ったの嫌がられてないかな」
とか日々色々なことを考えつつ、
EHON HOUSEとクラウドファンディングという新しい挑戦に母は立ち向かうわけです。

最後に少しクラウドファンディングの宣伝をさせて下さい。
2024年1月25日〜2月28日まで。
50%OFFの宿泊券や焼き菓子のリターン品をご用意しておりますので
ぜひご協力ください!

https://camp-fire.jp/projects/view/725404









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