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自分らしさとは

「自分らしい」はパッケージで売買出来るものではので
よく見る「自分らしい○○が見つかる!」的なコピーは
より細分化されたプロトタイプをパッケージ売りしたもので
それを入手してカスタムしたものが「自分らしさ」ではないと思う。

「自分らしさ」はカスタムや飾り立てではなく
普通に振る舞っていても滲み出てくる
「拭いきれない何か」だと思う。

自分らしさを表現するために何かを取り入れる
という枠組みは消費や経済としてのアプローチで
本来の自分らしさは「何となく好む」「何となく好まない」
の蓄積だと思う。

自分らしさをどこかから得る手法は
細分化されたプロトタイプに自分を当てはめにいく作業のようなもの。
自分らしさを意識的に獲得しようとすると、かえって自分らしさを失うのではないか?などと思った。

なりたい自分(ほしいパッケージ)を「らしさ」と
表現してしまうと、本来の自分らしさ(心地よい状態)とは
ギャップが生じてしまってみんな疲れちゃうんじゃないかな。

自ずと然り。自然体。

自分の思う「普通」(他人目線では変でも)や「何となく心地よい」をやっていれば
意識せずとも個性なんて出てくる気がする。

追記: 個々人の思う「普通」はかなり個性的な普通なので他人に強要したりされたりするとと嫌な気持ちになったりする。
普通の極め値こそ個性であり外れ値なのではないか?

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