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P・F・ドラッカー “もう一人のキルケゴール”:7日間ブックカバーチャレンジ DAY-1

最近流行りの7日間ブックカバーチャレンジ(*最下部に説明を書いておきます)、自分自身も周囲の方の推薦書を見て勉強させて頂いているのと、
尊敬するインパクト投資家の 山中 礼二 (Reiji Yamanaka) さんからバトンを受け取ったので、
自分の本棚、電子書籍から、自身の人間形成に影響を与えた本を、引っ張り出して来ようと思います。

1冊目はこちら。
マネジメントの父と呼ばれるドラッカーの短編集です。

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本書の中の「もう一人のキルケゴール」が、
「信仰とは何か」を自分に深く問いかけてくれた作品であり、
そして、学生時代、経産省時代、そしてその後のキャピタリスト時代も、何度となく本作を読み返し、救われてきた作品になります。

「もう一人のキルケゴール」は、彼が、”社会”という次元を超えて、”実存”・”信仰”の次元について書いた唯一の著作であり、1949年、「絶望の淵にあって」、「希望を確認するために書かれた」本でした。(いずれも、ドラッカーその人の言葉です。)

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ドラッカーは1909年ウィーン生まれのユダヤ人、記者時代にはヒトラーにインタビューしたこともありました。
ナチスドイツの拡大を予見した彼は、全体主義の蔓延を防ぐための思想・考え方として「マネジメント」に着目し、それが人生を通じた基軸となります。
彼が29歳に書いた「経済人の終わり」(1939年)はホロコーストを予測し、ナチスドイツの危険性を暴きだして、徹底抗戦を訴えました。後のイギリス宰相でノーベル賞受賞作家のウィンストン・チャーチルに激賞され、陸軍士官に同書を配るようにとの指示が出たのは有名な話です。

よくドラッカーは「経営学者」だと言われるのですが、元々は法学を学び、政治学者としてキャリアをスタートさせています。
そして、本書の中の終章「ある社会生態学者の回想」にあるとおり、自身としては「社会生態学者(social ecologist)」を自認しています。

彼の著作を読んでいると、彼は学者(Scholar)であろうとはしたけれど、科学者(Scientist)ではないと自認していたのでは、とも思います。
(アカデミックの領域に少しだけ触れて、自分にも、その思いが少しわかるようになった気がします。)
「経営学者としては二流、既に顧みられない」といった批判がありますが、そもそも、「経営学者」というドラッカー像自体、周囲の人間が作り出したものではないでしょうか。

ちなみに、ドラッカーの著作としては、圧倒的に「マネジメント」が有名かと思いますが、自分が人に薦めるとしたら、「傍観者の時代:Adventures of a Bystander」でしょうか。
「傍観者:Bystander」とはドラッカーのことで、彼が”観察者"として見てきた人や時代について、とても読みやすく書いており(子供の頃に会ったフロイトに関する記述もあります..!)、ドラッカーの人となりを知るのみならず、当時のヨーロッパの雰囲気を知る上でも貴重な資料だと思います。

「マネジメント」や「非営利組織の経営」などの実用書も良いですが、私としては、上記、「傍観者の時代」や「経済人の終わり」なども、ぜひ手にとってほしいと思っています。
(私の履歴書にある、奥様との出会いの話も素敵です)

せっかくの機会なので、一人でもドラッカーの読者、そしてドラッカーから学ぶ者が増えることを祈って、一筆したためてみました。

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あまりこういったものの「バトンを渡す」ということはしたくないのですが、皆さんに紹介するという意味で、ドラッカー学会の理事/事務局長で、ものつくり大学特別客員教授、ドラッカー研究者の(最晩年のドラッカーをクレアモントの自宅まで訪ねた)井坂康志さんを、皆さんにご紹介したいと思います。
(そして、今確認したら、既にブックカバー・チャレンジをされており、現在、3日目ですね)

ドラッカー学会に出席した際に、もう一人のキルケゴールや、傍観者の時代についてお話して意気投合したことを昨日のように覚えています。
同時代を生きる思想家として、これからも、井坂さんからも学ばせて頂ければと思っています。(そして、願わくば、井坂さんにも何らかを提供できるように精進します)

(この機会に、ブログも始めてみようかと思います。領域に拘らず、いかに生きるべきか、社会はどうあるべきか といったことを硬軟織り交ぜて書いていきますので、よろしければご登録ください)

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