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書評:『フードバリューチェンが変える日本農業』

『フードバリューチェーンが変える日本農業』大泉一貫、日本経済新聞出版社

東京というところに住んでいると、毎日口にする食べ物だが、それを作っている農業について、なかなかその実態を知る機会が少ない。『フードバリューチェーンが変える日本農業』では、現在の日本農業の現状と今後進むべき方向性が提示されている。農業が個人レベルの活動から、企業体として他産業と連携した活動に移行する段階となっていることがよく分かる。

著者の宮城大学の名誉教授の大貫一貫氏は、農業経営学を専門とし、農業政策や地域政策に関する政府等の委員も歴任した。この本で、現在の統計情報や農業の状況などから、2030年における日本農業の姿を予測し、その時に農業が産業としてどうあるべきかについて提言している。

日本農業の現状と将来予測

1990年から2010年までは、農家の数が297万戸(1990年)から168万戸(2010年)と減少し、それに伴い農業産出額も減少する「失われた20年」が続いた。特に、この期間、農業の中でも稲作は野菜や畜産と比べて生産性の低下が顕著で、補助金による価格維持や新規参入規制など従来型の稲作農家への農業政策の限界が見えてきている。その保護政策の結果、2015年には農家の九割が小規模農家化(販売額1千万円未満)した。

それでは、2030年には日本農業はどのようになっているのだろうか。筆者は次のような構造変化を予想している。

  • 農家戸数の減少(40万戸)

  • 高齢化や兼業農家の廃業により小規模農家の数が減少する一方で大規模農場が増加

  • 各種技術の導入により農業産出額は倍になる。産出額の七割は大規模農家が担う

さらに、筆者は日本の農業が目指す姿として、ブラジルや北米のように大豆や小麦などの原料農産物を大量に生産する農業ではなく、欧州各国のように市場ニーズを捉えて食品加工業者と連携して商品開発を行い、付加価値を高める農業がふさわしいと考えている。

フードバリューチェンを見据えた農業

つまり、農家は単に農業生産だけにフォーカスするのではなく、加工・流通・小売・消費までの一連の流れである「フードバリューチェーン」を捉えた上で、農業経営を行う必要があるのだ。著者は、このマーケットを知る食品企業や技術開発を知る資材、ICT企業等と業界の垣根を超えて連携する農業を「フードチェーン農業」と呼ぶ。

フードチェーン農業の実現には、市場のニーズだけではなく、バリューチェーンの各所に存在する無駄や障害をひとつひとつ取り除いていくこと)が必要となる(「フードチェーンの最適化」。具体的には、在庫の縮小、物流の合理化、リードタイムの短縮、情報の流れの活性化、農作業工程の改善などがある。

フードバリューチェーンは、生産から消費までと長い工程になり、誰かがオーケストラの指揮者のような役割を果たさなければならない。この役割を本書の中では「チェーンマネジャー」と名付けている。必ずしも、農家がチェーンマネジャーの役割を担う必要はなく、それは食品会社の場合もあるし、外食会社や資材メーカーの場合がある。書籍では具体的なチェーンマネージャーの事例が紹介されている。

フードチェーン農業と似たような仕組みに「六次産業化」がある。これは農家が余った農作物を廃棄せず新たな収益源にしょうと、農業者自身が農産物の加工や販売などを行うことで、みかん農家によるみかんジュースなどが代表例だ。一次産業としての農業、二次産業としての製造業、三次産業としての小売業をあわせたので、六次産業と呼ばれる。しかし、この六次産業は、バリューチェーンの各プレイヤーとの連携を前提としているフードチェーン農業とは異なっている。

さらに、農家がチェーンマネジャーになるためには、次の三つの要件を備える必要がある、それは良い農産物を作る「生産基盤の充実」、農業を事業として捉える「事業管理・経営機能の強化」、他業種との連携による「投資機能の強化による企業価値の増大」の三つだ。各ステップでは最新の情報通信技術(ICT)が必要となるが、生産基盤の充実においては各種の農作業の効率化や省人化などの最新テクノロジー(アグリテック)が各社から導入されている。

将来的には、農業のICT化によって蓄積されたデータは、農業やフードバリューチェン内だけでなく、地域社会の生活の質の向上に利用されることが期待される。それは「ソサエティ5.0」における農業のあるべき姿だ。しかし、著者はそのためにはデータの取扱いなどで解決すべき課題があり、官民一体となった取り組みが必要と言う。

この本を読んで、一次産業である農業は、他の産業と比べて、これまでその規模からどうしても家内工業的な個人レベルの経営が中心だった。しかし、その頃の「わたし、作る人」と、より良いものを作っていこうという姿勢だけでは難しくなったのだろう。本当に消費者が求めている農産物を、他の業界の会社と切磋琢磨しながら作り込んでいくことが、情報通信技術やアグリテックの進歩によって可能になった。つまり、フードチェーン農業とは、「プロダクトアウト」から「マーケットイン」へ発想を転換させることを意味しているのだ。農業は斜陽産業ではなく、成長産業にもなりうる可能性があることが理解できた一冊です。

『フードバリューチェーンが変える日本農業』大泉一貫、日本経済新聞出版社

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