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書評:『売り渡される食の安全』

 日本の農業は、生産者の高齢化やなり手不足など構造的な問題が指摘され、自給率の向上は重要な国家課題のひとつと考えられている。しかし、問題はこれだけでない。この本では、「種子」という視点から、日本農業の将来に重大な影響を与えかねない動きについて、警鐘を鳴らしている。農業の根幹をなす種子の取扱いに関する法令が「民間参入」という名の下で「改悪」される状況と、世界の種子を握る多国籍アグリ企業による品種改良と環境への影響とそれに対する草の根レベルでの対抗ーアグリ企業への訴訟や有機栽培農業への移行などについて書かれている。

『売り渡される食の安全』山田正彦著、角川新書

 著者の山田正彦氏は、民主党政権下で農林水産大臣を努めた元衆議院議員で、議員になる前は実家の長崎で牧場運営にも携わった経歴を持つ。

 日本の農業の分野でも新自由主義的な動きが止められずにいる。新自由主義とは、政府の財政政策による経済への介入を批判し,市場の自由競争によって経済の効率化と発展を実現しようとする思想のことだ。
 これまで、種子法という法律のもとで国が責任を持って種子を農家に提供する責任を担ってきた。しかし、新自由主義的な考えでは、この種子法が民間企業の参入を阻害してことになり、「規制緩和」という名目で種子法が廃止された。さらに、種子法に変わる新たな法律として、農業競争力強化支援法が安倍政権下の規制改革推進会議の提言に従って閣議決定された。これにより、米の品種数が民間企業が提供する数種類に集約された。
 品種の集約に対して筆者は、多様な品種があるからこそ、予期せぬ気候変動や病害虫の発生などのリスクを低減させることができるので、この動きに対して懸念を示している。
 日本には種苗法という法律があり、農産物や園芸植物を新たに開発した人や企業の知的財産権が保護されていた。いくつかの農家は、自分の田んぼや畑で採れた種を翌年の咲くつけに使っていた。これを自家採種というが、種苗法の改正により、自家採種が禁止となり、農家は民間企業から種を購入しなけれならなくなった。アグリ企業による農家の実質的な支配とも言え、自社の種子が契約通りに使われていないと、農家に対して莫大な損害請求ができるようになっている。

 これらは一連の改革は、農産物の品質に重大な影響を及ぼす種子の門戸開放と言えるが、世界の種子にまつわる状況は楽観できない。
 世界の種子は、モンサントやダウ・デュポン、シンジェンダ(中国化工集団傘下)などの多国籍アグリ企業が市場の七割を握っている。これらの企業が生産する種子は、品質の向上や収量の増加を目的に、最先端の遺伝子組み換え技術が用いられている。筆者によると、現在世界で栽培される大豆の八割、トウモロコシの三割が遺伝子組み換え品種となっている。
 新しい種子の研究開発に多額の費用をかけているため、アグリ企業が提供する種子の価格も年々増加しており、農家の経営を圧迫している。
 モンサントは、除草剤ラウンドアップにも耐えられる種子を開発しているが、自然というのは人知を超えているというのか、雑草や害虫の生存本能はこれらの農薬が散布されても生き残れるようになる。アグリ企業はさらに強力な農薬を開発するというイタチごっこが続くが、強力な農薬にも生き残れる農作物は本当に人体に影響がないのか、農地や河川などの環境に影響しないのかという疑問が残る。
 しかし、世界の流れは多国籍アグリ企業の思惑通りには進んでいない。米国を始め各国では遺伝子組み換えの農産物の作付けが減少するとともに、有機栽培が増加傾向にある。
 さらに、強力な農薬を使ったことによりガンなど人体への影響が出てきており、米国では人体被害に対する損害訴訟裁判で、アグリ企業の責任が認められ、多額の賠償金の支払いが経営を圧迫している。

 この本を読むと、世界では環境への負荷を抑えるような脱農薬の動きが進んでいるが、日本がその真逆の方向に向かっていることがよく理解できた。
 「食べる」という非常に身近で重要な活動に対して、このような危機が進行しているのは、消費者として本当に心配になる。自分が食べるものについては、自らが情報を収集して、選択すべき時代になったのだろうか。

『売り渡される食の安全』山田正彦著、角川新書

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