見出し画像

R-1とM-1、最大の違い…そしてR-1の改革案

少し休んだnote復活しようと思います。
やはり、書きたいことができた時に書こうと…少し気を配りながらも本音を書ける場所は確保しておこうと思います。

R-1ぐらんぷり2020が終わりました。
前代未聞の無観客賞レースということで注目を集めましたが、特に無観客の違和感はなく無事に終了。

無観客ということに関しては、「演者がやりにくい」というデメリットを除けば、特にデメリットはなかったと思われるので、新たな賞レースのモデルケースを生んだのかもしれない。

実際、ネタの途中で客席から変な悲鳴が上がったりするよりはマシ…という考え方もある。
お客さんの笑い声に引っ張られることは、本当に面白いかどうかを判断する上で基準を狂わせる場合もある。
それゆえ、無観客R-1に関しては結果論としてメリットもあったなと…個人的には思いました。

しかし、今回のR-1…ネットでは酷評の嵐。

やれ、ネタのレベルが低い、MCがダメ、審査員がダメ、などなど言いたい放題である。
逆に褒めている意見を1つとして見かけない。

これに関して私が言えることは何もない。
全てを鵜呑みにする必要は全くないが、ネットの意見なんてしょせん…とは言えない時代なのは誰もが分かっている。

そんな批判意見をちょこちょこ見ていると、こんな意見が少し目立つ。

「M-1と比べて〇〇」

そう、M-1は凄いのに、なんでR-1は…といった意見が非常に多いのだ。

この意見の多さに対し、確かに何がそんなに違うんだろう…?と、考えるキッカケとなった。

漫才とピン芸が違うとか、出場資格制限の有無が違うとか、そういった表面的な話は当然抜きで、もっともっと本質的な部分を考えてみた。

答えは出た。

簡潔に言えば、大会の軸足がどこにあるのか?という話に集約されることに気がついた。

そもそもM-1の軸足とは何か?

まず、初めにM-1が日本一のお笑い番組になった理由は、この記事に集約されている。

M-1は若手漫才師の日本一を決めるというコンセプトではあるが、その軸足は全て決勝の審査員に置かれている。

もちろん、ファイナリストたちの漫才がM-1のメインなのだが、そのメインを輝かせているのが審査員。

M-1グランプリがディズニーランドだとすれば、ミッキーやミニーが審査員であり、アトラクションが出場漫才師だ。ミッキーやミニーなどがアトラクションに価値を与えている。ミッキーもミニーもいないディズニーランドは、ただの遊園地となる。(なんじゃこの例え)

その証拠の1つとしてM-1はオープニングで審査員1人1人を盛り立てながら派手に登場させている。
あの場面に番組の答えがある。M-1グランプリ=審査員という軸足を物理的に見せている。

M-1グランプリのCMなどを観たことがあるだろうか。本来主役のはずの出場者ではなく、審査員を前面に押し出している。制作側も審査員が番組の命運を握ると腹を括っているのだ。

審査員の存在自体がエンターテイメントになっており、審査員のジャッジやコメントや存在感が番組の肝となっているのは誰もが理解できるだろう。

基本、M-1の審査員は7人が務めるが、実はここの7人にも大きな意味が隠されている。

3対3対1。
ここ最近のM-1は、この比率で審査員が分けられている。

天下人のレジェンドが3人。
比較的若い漫才界の頂が3人。
異分野から1人。

この黄金比率に気がついていただろうか?

バランスが本当に素晴らしすぎる。

もちろん、この黄金比率を形成する上で絶対的なのは3人のレジェンドである。

そもそもレジェンドがいなくなればM-1はM-1ではなくなる。
M-1の格式、価値、注目度、視聴率、影響力、
それら全てを背負うのがレジェンドの3人。

ここに全てをベットしているのがM-1グランプリ最大の強さである。

まず、レジェンドが軸を作り、その上に比較的若めの現役バリバリ漫才師を3人入れることで漫才審査として説得力の強度が増す。

さらに異分野の落語界から重鎮を1人入れることで、最終的なバランスを整える。

落語家目線で見た場合…という専門的角度も当然ある。7人いれば、1人は異分野のほうがバランスは整う。

こんな細かいところまで考えて観ている視聴者はいないだろうが、なぜかM-1だけが別格に見える秘密はここにある。

番組=審査員…という一本の筋が通っており、その軸足が全くブレないM-1。
コンビ歴15年以内の若手が漫才で戦う分かりやすさと、審査員が番組を背負うというシンプルな構造。

この単純明快さがM-1の凄さの全て。

では、R-1はどうなのか…?

R-1の軸足はどこにあるのか?と聞かれて、答えることは非常に難しい。

そもそもピン芸人の日本一を決めるわけではない。審査員が全てを司るわけでもない。

ピンネタをやって、その中でチャンピオンを決めるのがR-1。

もちろん、ピン芸人ではなくピンネタのコンテストなので、コンビの片方が出てもいい。
今回の優勝者もコンビの片方だった。

面白いとか面白くないの前に、どう観ていいのか?と聞かれた時に答えにくいのは確かだろう。

審査員も1人が3票を持っており、この人に2ポイント、この人に1ポイント、と割り振れるシステムとなっている。
ピン芸は非常に審査が難しいので、一概にこっちが面白いとは言い切れない部分もあるが、ここで出てくる問題は責任の所在が薄まることである。

言うまでもないが、M-1は責任の所在を全て審査員が背負っている。
責任の所在を背負う必要ってなに?なんのメリットがあるの?という意見もあるかもしれないが、責任の所在を明確にすることで覚悟が生まれる。

生まれた覚悟が緊張感となり、真剣勝負という究極のエンターテイメントへと繋がる。

さあ、ここから私のR-1改革案を5つ発表したい。
番組がどのような軸足を置き、視聴者がどのような目線で大会を観れるようにするのか?

ここから先は踏み込んだ意見に入るので、読みたくない人の目に触れないよう有料にします。

ここから先は

2,934字
この記事のみ ¥ 100

サポートも嬉しいですが、記事やマガジンを購入していただけたほうが嬉しいです。読んでくれた人が記事の内容を覚えている文章を心がけております。