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<書評>「ドイツ史10講」

20210806ドイツ史10講

「ドイツ史10講」 坂井榮八郎著 岩波新書 2003年

書評というよりも,本書を読んで啓発された歴史に対する見方や考え方を記したい。

1.フランクからドイツへ

西ローマ帝国が滅びて,フランクが成立し,これが西・中・東のフランクに別れて,現在のフランス・イタリア・ドイツの元になったのは,学校の歴史で習ったことだが,ローマ帝国時代は帝国全土に優れた統治機能があったのが,フランクになった途端にこれが機能しなかったことが不思議でならなかった。それに,フランク=ゲルマンとはいえ,帝政ローマ末期まではローマの属州として,ローマ市民同様に行政機能の下にあったのだから,なおさら理解できないものがあった。

その回答がここにあった。つまり,フランクは優れた行政機能をローマから引き継がなかった(引き継いだのはイスラムのアラブ諸国だった)ので,王国を維持するための機能を必要とした。それは,キリスト教会と司教たちだったのだ。

ローマ帝国崩壊の理由の一つとしてあげられるキリスト教会だが,フランクにおいては,地方の隅々まで巡らされた教会と司教の強固な組織によって,国王が発する命令を,当時の数少ない読み書きのできる司教たちが,各地区の教会に伝達し,その教会(村役場)の信徒(住民)である村の人々が,司教から国王の命令を聞く形が取られていたのだ。つまり,フランクは教会組織によって成立していた国家だったのだ。

だから,その後十字軍という狂信的な侵略行動が発生するのも,自然な歴史の動きだと見なせる。十字軍は,ローマ教皇が突然思いついたアラブへの侵略ではなく,中世を支配していたキリスト教国家の集合体として,必然の行為だったと言える。

一方,時代が進んでローマ教皇の力が弱くなり,宗教改革と産業革命という,ヨーロッパがキリスト教と教会行政から卒業することにより,世界の中心となっていく。それを先取りしたのは,神聖ローマ帝国のフリードリッヒ2世だったが,彼の行った行政・官房機能の先見性は,ローマ帝国からのものであり,それを受け継いだのが東ローマ(ビザンチン)帝国とアラブ国家だった。これら世界帝国の後継者となったのも,同様に宗教の力を弱体化させた英国(カソリックに反旗を翻して,独自の教会組織=英国教会を作った)であり,その理想をさらに飛躍させた米国であったのは,また歴史の必然であったと納得させられる。


2.ドイツの人名の面白さ

それから,ドイツ語は詳しくないのだが,今でもドイツ人の氏として聞くものが,それぞれ中世貴族階級の名称だったと知った。つまり,グラーフは伯(爵),ヘルツォークは公(爵)だ。だから,テニスのスティフィ・グラフの祖先は,地方豪族で,映画監督のヴェルナー・ヘルツォークは,さらに大きな豪族の末裔なのだ。


3.ヨーロッパ史としてのローマ帝国の重要さ

日本における西洋(ヨーロッパ)史は,イギリスとフランスが圧倒的な中心になっている。それは,アラブ人がヨーロッパ人をフランク(フランス)と呼ぶようなもので,日本人にとってヨーロッパを意味するところは,イギリスとフランスの2ヶ国であり,歴史も,イギリスの清教徒革命と名誉革命及びフランス革命の記述が圧倒的に多い。そして,絶対王政の確立と帝国主義政策に遅れて参加した,ドイツとイタリア(スペイン,オランダは,大英帝国に負けた過去の覇者として対象外となる)は,ヨーロッパの歴史から落ちこぼれているように思う。

しかし,実際にヨーロッパという名称から見れば,まずローマ帝国が最初にある。これを引き継いだのがフランクで,このフランクが西(フランス),中(スイスとイタリア),東(ドイツ)に別れた。その後,東ローマ(ビザンチン)帝国が残ったものの,西ローマ帝国皇帝の名称は,ローマ教皇によって(西)フランクに継続される。その後,教皇のアビニヨン捕囚というフランス国王とローマ教会の仲が悪化した関係で,西ローマ皇帝の名称は,ドイツに引き継がれ,ここに神聖ローマ帝国が成立する。

神聖ローマ帝国については,学校の西洋史でしっかりと教えてもらえなかったので,ずっとあやふやな印象でしかなかったが,これですっきりした。なお,この神聖ローマ帝国は,ナポレオンによるヨーロッパ制覇によって終焉する。すでに,オスマントルコによって1453年にビザンチン帝国が消滅していた一方,1806年神聖ローマ皇帝の帝冠を持っていたオーストリア皇帝の下にあったドイツの小国が,ナポレオンに従うことを決めたライン同盟を作ることで,オーストリア皇帝の支配から離れたため,オーストリア皇帝は神聖ローマ皇帝であることを辞め,オーストリア皇帝のみとなった。ここで,神聖ローマ帝国の歴史が終わり,ヨーロッパにおけるローマ帝国の名称も消滅した。

しかし,1870年の普仏戦争の勝利により,プロイセンを中心にしたドイツ帝国が誕生する。さらに,第一次大戦の敗戦によって1918年にドイツ皇帝は廃位されるが,1934年のヒンデンブルグ大統領の死去によって,ヒットラーが全権を掌握した第三帝国が成立する。第三帝国に先立つものは,一般には西ローマ帝国,東ローマ帝国となるが,ヒットラーにおける第三帝国は,神聖ローマ帝国,ドイツ帝国に継ぐものであり,ドイツという地域に限定している。

こうしたことを見れば,ローマ帝国というイメージは,1945年のナチスドイツ敗戦まで続くと考えられるので,実にヨーロッパ史の大半を支配したイメージだと思う。そして,日本においては,もっとローマ史に時間をかけて学ぶことが,真のヨーロッパ史を学ぶことにつながる重要なものだと思う。


4.ヒットラーの功績

これまで,ヒットラーは一種タブー視されてきたため,その功績については敢えて触れらないようになっていた。ところが,最近になってこれらの現実を,色眼鏡をかけないで語れるようになった。これは良いことであり,また正しいことだと思う。

その中で,ヒットラーが初期に達成した輝かしい経済的成果がある。それは,1932年に30%だった失業率が,1933年にヒットラーが首相に就任した後,1938年には1.9%に下がった。工業生産指数は,1929年を100とした場合,1938年には125になっている。これは,1933年から始まったアウトバーンの建設という大規模公共事業が成功したことが一因となっている。

労働者の実質賃金は,1936年を100とすれば,1933年が87.7であったのに対して,1938年には107.5に上昇した。労働者は,割引切符による演劇・オペラ鑑賞,週末旅行,観光地の宿泊,専用客船による外国クルージングまでできた。さらに,低所得者や母子家庭のための福祉も充実していた。少なくとも,「ドイツ人」は皆幸福で恵まれた生活を享受していたのだ。

だから,選挙でヒットラーとナチスは,一般大衆から圧倒的な支持を得て,理想的な独裁政治を許容されていたのだ。つまり,ワイマール共和国のような理想を追いすぎて現実から乖離し,経済も生活も破壊された政治よりは,ヒットラーの方が現実的利益を与えてくれたのだ。

しかし,そこには独裁の怖さと大衆の盲目的な支持=ポピュリズムの落とし穴があると思う。

その独裁だが,これまでの歴史ではドイツ,イタリア,日本のみが独裁軍事国家であるかのように喧伝されているが,これも歴史を正当に見れば,当然ソ連はスターリンの民衆を虐殺しまくった独裁であり,アメリカのルーズベルトも再選を繰り返して独裁政権を作っていた。そこに違いがあるとすれば,戦争の勝者と敗者でしかない。

一方,現在のドイツもそうだが,ドイツのドイツたる所以は,中央集権が確立されなかったことだった。また,ドイツの最初で最後の中央集権国家を確立したのはヒットラーであったのだから,中央集権=独裁と理解しても良いと思う。

そのヒットラーの世界(戦争征服)観は,ボルシェビズムのソ連=ロシアを制覇することだった。また,ヒットラーにとって,ソ連=共産主義=ユダヤとなっていたので,ソ連を征服することは,そのままユダヤ人虐殺につながっている。また,ユダヤ人を隔離し,虐殺するさきがけとなったのは,ドイツ国内における精神病患者を隔離し,虐殺することであった。少数民族差別の構造は,そのまま精神病患者差別につながっていることが,このナチスの歴史でよく理解できる。そして,誰かを隔離して閉じ込めることは,そのまま虐殺まで行き着いてしまう怖さがあることを自覚したい。

なお,ヒットラーがソ連との戦争に負けたものの,アメリカに宣戦布告していなければ,ソ連を除いたヨーロッパ全土の支配者として生き残った可能性があったそうだ。結果から見れば,そうならなかったことは人類にとって正解だったと思うが,ナチスに勝利して正義の味方面(づら)をしている,イギリス,フランス及びその他の諸国には,ナチスの同調者が普通にいたことに留意したい。

つまり,ヒットラーとナチスは,特別なことではなく,世界のどこでもいつでも,ポピュリズムの仮面を被って,盲目的な大衆からいとも簡単に発生するものなのだ。


5.ベルリンの壁は反民主主義の壁

ベルリンの壁は,東ドイツが自国民の西ドイツへの逃亡を防ぐために築いたものだ。つまり,ナチスが精神病者やユダヤ人を隔離したことと,同じコンセプトになる(東ドイツ国民を壁の中に隔離した)。そして,東ドイツの政治体制は,ソ連の共産主義独裁体制をより徹底したものであったから,そこに暮らす民衆は,ナチスと戦争時代以上に酷い生活をしていたことが容易に想像できる。

だからこそ,1998年にベルリンの壁が壊されたことは,1945年にユダヤ人強制収容所の壁が壊されたことに匹敵する,自由と民主主義の勝利であったと思う。人類は,二度と「ベルリンの壁」を築いてはならないのだ。


6.EUがドイツそのものであること

EUは,ドイツとフランスによって作られ,経営されていると良く言われている。しかし,EUがいわゆる連邦制のようなものである限りは,中央集権国家であったフランスよりは,領邦国家として,長年地方分権政治を行ってきたドイツを拡大したものと見るほうが,理解しやすいし,またそうであると思う。つまり,ヒットラーは失敗したが,今のEUは,ドイツが拡大して作られた,新たな「神聖ローマ帝国」なのではないか。これを,ナチスに次ぐ,第4帝国と称しても,あながち間違いではないと思う。

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