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<映画評>『1917』

 2019年のサム・メンデス監督作品。日本での公開題名は、『1917 命をかけた伝令』。監督の祖父アルフレッドの実話を参考にしていると、最後のテロップで紹介される。第一次世界大戦の西部戦線。イギリス軍の上等兵(伍長代理)2人が、最前線の味方へ将軍(ゼネラルとだけあるので、階級は不明)の伝言を運ぶストーリー。上等兵の一人は、最前線に兄がいる。もう一人はソンムなどの激戦を経験した強者。伝言といっても、敵陣地や敵が支配している地域を通り抜ける、文字通りの決死行となった。

 冒頭のシーンが、木に持たれて休む主人公と草地で横になる友人2人の姿から始まる。そして、最後のシーンも同じように主人公が木に持たれて休むシーンで終わる。この最初と最後が同じイメージであることは、物語が、永遠に繰り返され、ずっと続くような印象を与える。

 カメラが凝っている。冒頭から主人公2人の姿を後ろに引きながら、切れ目なく追っていく。シーンの継ぎ目がわからないように、巧妙に編集した一連のカメラショットが注目されているが、それよりも面白いのは、主人公の周辺の情景がカメラに映りこみ、そうした風景が主人公のおかれた状況や戦場の有様を教えてくれることだ。映像が伝えるメッセージを存分に屈指している。

 激しい戦闘シーンはほとんどない。どちらかと言えば主人公が、戦場の中で戦いを避けて逃げるように目的地に向かうことが連続する。言うなれば、主人公は戦うために武装しているのではなく、味方を救うために武装するという、限定された戦いであることを強く印象つける。

 また、主人公が移動していく背景(場面)は、まるでRPGのように次々と場面が変わっていき、その中で主人公はひとつひとつのタスクを達成するかのようにして進んでいく。もちろん、各タスク達成のための場面が進行するにしたがって、新たに出会う様々な人がいる。中には敵もいるし、支援してくれる味方もいれば、名もない市民(戦争の犠牲者)もいる。それぞれから、主人公はRPGのように学習し、経験値を積み、目的に向かって進む力を得る。

 物語が終わった時に感じること、それは最初と最後の場面の主人公の姿は、同じ草原の一本の木に持たれて休んでいるが、その身体と心はまるきり異なっているということだ。そして、その心から染み出てくるものを読み取れば、それは修羅場を乗り越えた主人公の勲章がひとつ増えたことではなく、この絶望的な戦争が一刻も早く終わって欲しい、早く家に帰りたいという願いが、より一層強くなったということだろう。

 そういう観点では、この作品は戦争映画ではなく、優れた反戦映画になると思う。なお、多くの評論家が高評価し、興行収入も良かったが、一方では「つまらない」、「戦争の真実を伝えていない」との酷評もあった。

 この「つまらない」という人たちは、そもそも映画作品に対して芸術性とかメッセージを読み取ることを一切せず、ハリウッド映画特有のプロレス興行のようなせわしないアクション映画を期待しているからだと思う。もっと言えば「戦争映画」ということで、激しい大規模な戦争シーンを期待したとすれば、それはこの作品に期待すること自体に無理があったと言わざるを得ない。

 次に、「戦争の真実を伝えていない」という批判に対しては、芸術作品は全て現実のものをありのままに伝えるものではまったくない、むしろ現実を起点にして様々な表現をするもの、という基本的な概念を伝えたい。そして、ありのままの現実を伝えるということであれば、それは芸術作品ではなく単なる記録でしかなく、そこに製作者の意図が入りこむ余地は限りなく限定されるだろう。芸術作品とは、製作者(創作者)の意図を思う存分に発揮できてこそ、優れた作品に昇華するものなのだから。

 最後に、この作品から何を思うか、何を受け取るかは、人それぞれだが、良い作品であることの尺度は、そうした受け取り方が多種多様であることで決まる。そういう部分から見ても、この作品はかなり良い映画だと思うし、映画文法(最初と最後のシーンを同じにすること、静と動のリズム、主人公の背景が物語の進展に従って徐々に説明されていくこと、花や動物の生死と兵隊の生死との連想など)をよく理解して屈指している点でも、高く評価できると思う。

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