見出し画像

<閑話休題>「万巻の書を読み,万里の路を行く。」

日本の文人画家として世界的に著名な富岡鉄斎の座右の銘として知られているが,元は,中国明代の文人(南宋)画家である董其昌(とう・きしょう)が,画の六法である「気韻生動」を説明した言葉である。

彼の残した「万巻の書を読み万里の路を行けば,自ずと胸中に自然が映し出ようになる。(一万冊の本を読み,一万里(4万km)を旅すれば,自然と(水墨画の題材となる)自然の風景が自らのイメージとして出てくるであろう。)」の一部を抜き出したものだ。

この董其昌は,芸術家としては,清朝の乾隆帝が非常に愛好したように優れた才能があったが,社会人及び教育者としては,孫のような年の妾を囲い,高利貸し事業をする一方,学生には問題を与えずに試験を行うなど,はなはだ品性悪辣であったようだ。

しかし,富岡鉄斎はそうした董其昌の下劣な人品骨柄は度外視し,その優れた芸術理論の象徴として「万巻の書を読み,万里の路を行く」を取り上げたように思う。そして私も,この「万巻の書を読む」というイメージに近づければ良いなと長年思ってきた。

しかし,今はもう61歳なので,10歳から60歳までの50年間に1万冊の読書をしたと単純計算すれば,毎年200冊(1週間に4冊)の本を読まねばならない。いわゆる速読の人は達成できるかも知れないが,私のように一冊の本を熟読したいタイプには,とても無理な話で,せいぜい年間30冊が関の山だろう。だから,今現在の読書数は1500冊がせいぜいではないか。これでは「万巻」とはとても言えないので,せめて「千巻」と称してみたい。

残る「万里の路を行く」というのは,今は飛行機で地球の反対側まで簡単に行かれる上に,たまたま海外で勤務することが多い仕事なので,お陰様でこちらのほうは既に達成しているし,また同じように既にクリアーしている人は沢山いると思う。もっとも元の意味では,飛行機であっというまに通り過ぎて距離を稼ぐのではなく,徒歩で自然(現象)を味わいながら記憶していくことだろうから,こちらも達成したとは安易に言えないだろう。

よく人が見るもの,経験するものは,その質に差はないというような意見を耳にするが,本当は違うと思う。日本の哲学者である森有正が,「先験的経験」という言葉で表現したように,人による経験の質というのは,その人が持っている知識・素養によって大きく異なってくる。

例えば,エジプトのピラミッドを観光する場合を想定してみよう。ここに例えば,5歳の幼児が親に連れられてきたとしても,「暑くて怪しげな人が沢山いる中,よくわからずに連れてこられたけど,目の前にあるのはただい古い大きな石を積み上げただけのもので,その大きさには驚くけど,それ以外に感じるものはないよ。」というのが,幼児の正直な感想だと思う。

ところが,これが少しでも歴史や考古学に関心のある人なら,ピラミッドやエジプトに関する膨大な知識が頭の中を駆け巡り,ピラミッドが作られた当時のエジプトの生活振り,19世にナポレオンがエジプトに侵攻し,スフィンクスを射撃の標的にさせたことや,天才シャンポリオンによって象形文字が解読されることになるロゼッタストーンの発見などが,次から次へと頭の中に浮かんでは消えていくことだろう。さらには,20世紀に入ってから連発するエジプトの軍事革命(クーデター)や,果ては三つのピラミッドの位置関係から宇宙人やUFOとの遭遇を考えるまで,想像の翼は広っていく。

そうして見るピラミッドの姿は,ただ大きく古い石を幾何学的に積み上げたものではなく,当時の働くエジプト人の姿や,スフィンクスの鼻に向けて射撃するフランス兵士の姿が,まるでそこにあるように見えてくるだろう。さらに,ピラミッドの石一つ一つにある傷や切り口からは,5千年の時間を凝縮したような特別な「重さ」を感じ取ることもできるだろう。

つまり,人による「経験」には差があるということだ。そして,意味ある「経験」をするためには,万巻の書を読むような知識を得てかつ深く考える努力が必要なのだ。

「万巻の書」が大変なように,「万里の路」も,それを言葉の本当の意味で「万里の路」を「経験」し自らの血肉とするためには,「万巻の書」による知識と思考方法が前提になっている。ただ旅しただけでは,「万里の路」とは決して言えないのだ。

そう考えると,私がクリアーしたと思っている「万里の路」も,「万巻の書」同様に未だ道半ばということなのだろう。「少年老いやすく,学なり難し。」,書物と地図の世界に耽溺していたかつての少年が老齢となった今は,この言葉の方がより相応しいようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?