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<小説・物語>シンドバード8回目の航海(前編)

1.はじめに

 『アラビアン・ナイト』で有名な物語といえば、「シンドバード」、「アッラーッディーン(アラジン)と魔法のランプ」、「アリババと四十人の盗賊」の三つだろう。しかし、『アラビアン・ナイト』本巻には、「アラジン」と「アリババ」の二つは入っていない。十九世紀のヨーロッパ人が『アラビアン・ナイト』を翻訳・紹介したときに、偶然見つけたこの二つの物語があまりも面白いため、敢えて『アラビアン・ナイト』に入れてヨーロッパの人々に紹介したのが、その理由となっている。

 一方『アラビアン・ナイト』の1001夜に分けられた物語に入っている「シンドバード」は、第537夜から第566夜に「海のシンドバードと陸のシンドバードの物語」と題して収容されている(平凡社東洋文庫『アラビアン・ナイト』第12巻)。この物語では、一般に知られているシンドバード(シンド=ヒンド=インド+バード=都、の意)である海洋貿易商人の「海のシンドバード」は、陸で仕事をしている同名の「陸のシンドバード」に、7回に渡る自分の冒険譚を語って聞かせるストーリーになっている。

 その冒険譚は、一定のパターンで構成されている。シンドバードは、ペルシャからインド・インドシナ・シナ(中国)方面へアラビアの物資を売るため、大船を出して貿易に出かけ、途中で嵐にあって船が難破する。しかし、幸運にもシンドバードだけは助かり、漂流したあげくどこかの島に上陸するが、そこは魔物の住む島で、そこで囚われ人になったり、異郷の姫と恋仲になったり、王様に気に入れられたりしながら、最後には沢山の財宝を抱えて帰郷するという展開になっている。

 それを6回も繰り返したあげく、最後に7回目を性懲りもなくやって物語は結末を迎える。なぜ7回なのかと言えば、7という数字は神話的な数字だからだ。ラッキーセブンがあり、一週間は7日だ。仏教の葬式には初七日がある。星座は北斗七星であり、映画は『七人の侍』(これを公然と模倣したのが『荒野の七人』)だ。そして、この7は3+4という同様の神話的数字に分解される。3は、「私」+「あなた」+「彼・彼女(第三者)」という三つの存在が原点だ。また多くの世界の神話は、主神と左右の神の三位一体構造になっている。キリスト教は「神と子と精霊」の三位一体であり、仏教も三つ並べる仏像が多い。4は、東西南北や前後左右の4方向があり、人は両手両足で4本だ。

 ということで、シンドバードは物語上どうあっても7回で航海(冒険)を止めねばならなかったのである。

 しかし、もしもシンドバードが8回目の航海をしたら、どうなっただろうか?とうとう運が尽きて、遭難するか、魔物の餌食になってしまったか、はたまた異郷のお姫さまから逃げられなくなっただろうか?私は、シンドバードがもし8回目の航海に出た場合は、ペルシャに戻ってこられないと思う。なぜなら、8回目の航海という神話を超越したことをできた段階で、シンドバードはもう人ではなくなり、別の生物に進化していると考えるからだ。では、その別の生物とはなんだろうか?

 それが、この物語を創る契機となった。

2.シンドバード、バクダードでの生活に飽き、8回目の航海に出る

 シエラザード姫は、1001夜に渡る数々の物語を語り終えた後、シャハリヤール王の寵愛を受けるようになりました。シャハリヤール王はシエラザードに、1002夜の晩、こう話しかけました。

「シエラザードよ、そちの物語はとても楽しかったぞよ。夜が明けた後、次の夜が来るのを毎日待ち遠しく過ごさせてもらった」
 シエラザードは、「王様、誠に光栄に存じます。そして、こうして寵愛をいただきましたことを感謝申し上げます」とシャハリヤール王にお礼を申しました。

 するとシャハリヤール王は、「ところで、わしはもっとお前の話す物語を聞きたいので、今晩も話しておくれ。そして、海のシンドバードの物語を聞かせて欲しい。たしか、シンドバードは、7回航海した後、バクダードで平和で豊かな生活をしたと終わっているが、その後再び航海に出ることはなかったのだろうか」

 こうシャハリヤール王がシエラザードに問いかけましたところ、シエラザードが答えるには、「王様、実はシンドバードは8回目の航海をしています。しかし、バクダードに帰っていないため、この物語はシナを経由してもたらされた噂しか残っておりません。もしそれでよろしければ、お話いたします」ということだったのです。
 するとシャハリヤール王は、「おうおう、それでいっこうにかまわんよ。今晩、その8回目の航海を聞かせておくれ」とシエラザードに命じました。そして、シエラザードは、シンドバードの8回目の航海について、話し始めました。

 シンドバードは、7回目の航海を終えた後、もう二度とあんな大変な冒険をしないと自分に言い聞かせていました。なによりもバクダードにいる家族や友人たちに心配をかけることを、二度としたくないと決心したからでした。そうして、バグダードで豊かな生活を送り、多くの子供や孫に囲まれていましたが、あるラマダンが明けた時のお祝いの夜でした。

 シンドバードは、思わず「こうして暮らしてしている私は、いったい何をしているのだろか。もう冒険をしないと誓ったが、ここで家族に囲まれて、昔の冒険話をするのもいいかげんに飽きてきた。毎日毎晩同じことを繰り返し話すのには疲れた。自分の7回に渡った冒険についてはもう何回話したことか。もう自分の親戚や友人は、冒険の全て覚えているくらいだ」とシンドバードは、独り言を言いました。すると、それを聞いていた言葉を話す鳥が、シンドバードに言いました。実はその鳥には、魔物であるジンがとりついていたのでした。

「シンドバードは、もう新しい話ができないのかい?」
 シンドバードは、「もう新しいことを聞かせる話は、とっくに無くなっているよ」と鳥に答えました。すると、その話す鳥が言いました。
「じゃ、また冒険に出ればいいじゃないか。今度は8回目の冒険だな」
 これを聞いたシンドバードは、言葉を話す鳥に答えました。
「そうさ、なによりも、退屈で仕方がないよ。安全で平和で毎日美味しいものを沢山食べて、良いワインを沢山飲み、気の合った仲間と昔話に花を咲かせるのは楽しいことだ。でも、冒険という最高の人生の楽しみを味わってしまったからには、この生活がどうにも我慢できない。それに、自分はもう何年も生きられないだろう。やがては身体が言うことを利かなくなり、長い旅に出ることもできなくなるだろう。だから、旅に出るとすれば今しかない。今こそ、最後の旅に出るときじゃないか」
 シンドバードがこう話すと、言葉を話す鳥は、無言で首を上下に激しく振って、同意を表すのでした。

 それからシンドバードは、旅の準備を始めることにました。しかし、今旅に出れば、自分の年からいって、生きてバクダードに戻ってくることはないと思いました。また、「たとえ昔の冒険のような酷いことに遭わなくとも、老衰や病気で死ぬかも知れない。なによりも、歩けなくなったり、馬やラクダに乗ることもできなくなることがあるはずだ」と言いながら、そのことに気づいたシンドバードは、もう戻ってこないことを考えて準備することにしました。

 まず、自分の持っている財産全てを家族に与えました。そして、親族や友人を招待して、最後の晩餐を行いました。親族や友人は皆、シンドバードとの永遠の別れを悲しんでくれましたが、シンドバード自身は、不思議と哀しい気持ちになりませんでした。自分が本当に望んでいるところへ、ようやく旅立てることにとても喜んでいたからでした。

 そうした盛大な最後の晩餐の次の日、シンドバードは貿易のための品物としてペルシャ絨毯をたくさん購入し、航海のための大きな船をあつらえ、それに乗る多くの船員を雇いました。そして、ある秋の晴れた日、バスラの港から東へ向けて出港しました。めざす先はインドとシナ(中国)と決めたていたのでした。

 シエラザードがここまで話すと、夜が白々と明けてきましたので、話すのを止めました。

3.シンドバード、日本に行

 1003夜になると、シエラザードは大王の願いに従って、さらに話を続けました。

 シンドバードのこれまでの7回の航海では、はじめは順風に恵まれた航海をするのですが、そのうち必ず大嵐に遭って船が転覆・大破していました。そして、乗組員のほぼ全員が溺死してしまうのでしたが、なぜかシンドバードだけは生き残ってきました。そのため、シンドバードは、「今回もバスラを出港してしばらくすると、きっと大嵐に遭うのだろうな」とひそかに予想していました。しかし、これを正真正銘の最後と決めたためかも知れませんが、船はずっと順風に恵まれて、あれよ、あれよという間に、インドのボンベイに到着してしまいました。

 シンドバードは、以前にもボンベイに来たことがあるので、さっそく上陸すると、持ってきた品々を次々と売りさばき、また売った金でインドの珍しい物産を買い込んで、水や食料とともに船に積み込みました。そして、次の目的地へと向かいました。船は、ボンベイからインドの南をぐるりと回って、さらに東に向きを変えて進みました。そして、やはり嵐にもなにも遭わずにマラッカに着きました。シンドバードたちはここで、ボンベイで買い込んだ品々を売りさばき、その金でマラッカの物産を買い込み、また水と食料を積み込ました。

 シンドバードは、マラッカに着くと、バスラから乗り込んできた船員にこう言いました。「ここまで私を運んでくれてありがとう。そしてここから先は、シナ(中国)に向かうのだけど、お前たちの半分の者を、これまで買い込んだ一部の品物とともに、国元に返すことにした。」これを聞いた船員たちは、「シンドバード様、どうか俺たちもシナ(中国)まで連れていってくだせえ」と泣きながら頼んできました。

 シンドバードは、「お前たちには役割があるのだ。故郷に戻って、そこの人たちに私たちが無事に航海していることを知らせて欲しい。それから、次の目的地であるシナ(中国)の広東で商売するため、シナ(中国)語を話す船員を新しく雇うことにした。船にはこれ以上乗れないから、お前たちにはバスラに帰ってもらわねばならない。お前たちと別れるのは悲しいが、どうかわかってほしい。私には、やらねばならない目的があるのだから」と船員たちに説明しました。それを聞いた船員たちは口々に「シンドバード様のたってのお願いなら、仕方ねえ。俺たちが、シンドバード様がご無事であることを国元の連中やシンドバード様のご家族に、責任もってお知らせしますだ」と答えました。そうして、シンドバードの船は、広東に向けて出港したのでした。

 マラッカからシナ(中国)へ行くためは、インドシナ半島の狭い海峡を通るのですが、ここは昔から海賊が出没することで良く知られた場所でした。そのためシンドバードは、「海賊どもめ、もし俺の船を襲ってきたら、この俺のペルシャの宝剣で懲らしめてやるぞ」と密かに意気込んでいました。しかし、幸いなことに海賊に遭遇することはありませんでした。また嵐に遭うこともなく、これまで同様に、何事もなく無事に広東に着いてしまいました。

 シンドバードは、もちろん安全な航海を願っていたのですが、なんの事件も災いもなく、すいすいと広東にまで着いてしまったことに、ちょっと残念な気持ちになっていました。なぜなら、そもそもバクダードを旅立った理由は、貿易のためということでしたが、本当は波乱万丈の冒険をしたかったからでした。しかし、今まで冒険の兆しもないくらいに、平和に何事もなく航海しています。「それでは面白くない」とシンドバードは思うようになっていました。

 それでシンドバードは、「私は、はじめは広東に着くことを目的としていたが、こうまで何事もなく順調に着いてしまったのでは、自分の求めている冒険が出来ない上に、この後の身の処し方にも困ることになる。今の状態で、のこのことバクダードにどの顔(つら)下げて帰れるだろうか」と思いました。それでシンドバードは決心しました。「ここまで付き従ってくれた船員たちを、皆ここでこれまで稼いだ貿易品とお金を分け与えて解雇することにしよう。また、船は船員たちの好きなようにしてもらうことにしよう。この船を使って、さらに貿易をしても良いし、売り払ってその金を分け合っても良い」と考えて、残った船員に対してシンドバードは命じました。

 船員たちは、マラッカのときと同じように、シンドバードとの別れをとても悲しみましたが、既にマラッカのときにシンドバードの気持ちを聞いていたので、シンドバードのいう通りにしました。

 こうして一人旅という身軽になったシンドバードは、旅を続けるためのお金を十分に持っていたので、初めて訪れた広東の港を散策してみることにしました。街の様子は、バグダードとも、ボンベイとも、またマラッカともまったく違っていました。何よりもそこに住む人の顔が、シンドバードが慣れ親しんだものとは全く違っていました。「世界はとっても広い。私が7回の航海で知ったことはほんのわずかだったのかも知れない」と、シンドバードは思いました。

 また、実際にこうして一人だけになってみると、意外と気持ち良いことを知りました。もう船員たちのことを心配する必要もないし、船の心配をすることもない。そして、これまでのいろいろなしがらみが全て消え去ってしまったことを感じました。もちろん、頼れる知り合いもいない天涯孤独の身となったことの寂しさはありますが、もとよりそれは自分が望んだことでした。そして、広東でこのまま野垂れ死にするつもりはないので、ここからさらに遠い世界へ、冒険の旅に出てみようと思いました。

 そんなことを考えて広東の港の辺りを歩いていたところ、目の前の船に見たことのない服を着た人たちがいました。シンドバードは、広東に来て少しばかり覚えたシナ(中国)語で、その船の者らしいシナ(中国)人に尋ねてみました。すると、そのシナ(中国)人船員は、「あれは、日本人だ。これからシナ(中国)の品物を日本に持っていくんだ」とぶっきらぼうに教えてくれました。「日本人、日本」というそれまでシンドバードがまったく知らなかった人と土地の名を聞いたとき、シンドバードの気持ちはもう決まっていました。

 「よし!日本に行って見よう。きっと新たな冒険ができるはずだ」とシンドバードはつぶやいて、さっそく別のシナ(中国)人船員に船に乗せてくれないかと尋ねました。すると、その船員は船長らしい人を紹介してくれました。シンドバードは、持っているペルシャのディナール金貨を見せながら、船長に交渉しました。船長は、シンドバードが持っているディナール金貨の輝きににやにやしながら、「100ディナールなら乗せてやっても良い。ただし、船員としての仕事もしてもらうぞ」と言ってきたので、シンドバードは船長に100ディナール金貨を渡して、さっそく船に乗り込みました。

 それから数日後、船は日本に向けて出港しました。目的地は長崎というところでした。

 シエラザードがここまで話すと、東の空が明るくなってきたので、話を止めました。


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