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<芸術一般>第5回オマージュ瀧口修造展(1985年7月23日、銀座佐谷画廊)

(これは佐谷画廊の瀧口修造展を見たときの感想です。当時、就職して3年が経ち、学生時代にはまっていたシュールレアリズムなどの芸術論の世界に、つかの間戻れたことの感想です。これを、定年退職した今、「美しくない」箇所を加筆・修正するとともに、ニーチェのピッタリな言葉が見つかったので、巻頭に掲示します。)

「人生を遊戯のごとく見えさせ、われわれをありきたりの宿命から遠ざけてくれる芸術」
  F.W.ニーチェ 『国家と宗教』から

 先日、私が1982年7月にサラリーマン生活を始めてから、久しぶりに「忘れていた夕暮れ」を見つけた。それは、銀座の表通りから一本外れたところにある、ある画廊でのことだった。

 思えば、この見事なブラックホールの主である瀧口修造(以下、同氏にならって、S.T.と略したい)は、1979年7月1日に亡くなっていた。

 私は、この符号(シンクロニシティー)を快く受け入れる。

 ここに集められたS.T.のデカルコマニーを中心とした百余の作品は、彼の友人・知人に向けて手紙などで贈られたものであり、少しも発表することや世間的な評論なぞを前提にしないで作られたものである。ここにこそ、評論家・詩人・芸術家としてのS.T.の、幸福な在り方があるだろう。

 初めから私的な小宇宙(ミクロコスモス)の目的によって製作された彼の作品群は、全ての美術作品が逃れられない商業主義を幸いにもすり抜け、付加価値を一切持たぬ純粋な「生」のままの、作品それ自体の存在として大宇宙(マクロコスモス)に昇華している。

 それは、おそらくS.T.が、詩人や芸術家といったひとつの枠に入る以前に、たんなる傍観者=評論家であることに起因する。彼には、あくまでも詩や美術作品は、評論=観察の余技でしかない。S.T.は、決して詩や美術作品の創作には没頭することはなく、いわば片手間に「遊び」として創作をしたにすぎなかったのだ。

 そこに、それだけに集中している詩人や芸術家にはない「間」、「息をつく隙間」といったものが生じ、彼の作品を見る私たちに、素晴らしい刺激を与えくれる。そして、その刺激となる力は、S.T.が芸術家などではなく、芸術創造の場をつぶさに観察してきたいわば「芸術人」としての生き方に、何よりも共鳴することで得られるのではないだろうか。

 さらに許されるなら、こうしたS.T.の在り方や作品は、四方から批判されている私の創作姿勢(注・サラリーマンをしながら、片手間に創作を行うこと)と作品群への、不遜にも心強き水先案内人(チチェローネ)になってくれることを、願っている。

 最後に、この画廊を出てからの銀座の街は、見事なほどに一変して見えたことを記して終わろう。

 S.T.の残された肖像写真のうち、最も素晴らしもののひとつに、冬の夜の人通りにぎやかな銀座で、片手にコートを持ち、口には煙草をくゆらして、悠然と立ち尽くしているものがある。彼の眼は、人々とは無関係な方向をなにげなく眺め、背後にはただ人々の通り過ぎる姿と街のネオンが光っている。そこにいるのは、かの有名なS.T.ではない。ただ一人の老人が、たまたまそこにいるだけなのだ。

 もちろん、人々は彼に関心を持ちえないし、彼も人々に関心なぞ向けない。彼は街とともにあり、また街も彼を快く受け入れる。そんな感じの映像だ。

 きっとひとたび、S.T.のこの写真にあるような「忘れていた夕暮れ」に触れたなら、これまでの街と自分との関係が一変してしまう。そんな肖像なのである。

瀧口修三@美術手帖から

 上の画像は、美術手帖1981年8月号の瀧口修造特集の扉ページからのものです。


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