<閑話休題>『なんじゃもんじゃ博士』の名言と永遠のイメージについて
長新太著『なんじゃもんじゃ博士』の『ハラハラ編』と『ドキドキ編』には、合わせて200話の一話完結式の漫画が描かれている。そして、各漫画の枠外に著者の言葉が短く添えられている。この言葉が意外といい。
それで、「これは良い!」と思ったものを、各話の番号とともに抜き出してみた。
『ハラハラ編』
13 世の中には、わからないことがたくさんある。だからオモシロイのであーる。ハハハ
16 あめは、あんまりふってもこまるけど、しずかにふっていると、こころがおちつくのですよ。
22 さむくなると、あたたかいにくまんじゅうがよい。でもね、博士はあたたかい心のほうがもっとよい、と思っているのです。
24 人間は、なんでもしっているみたいにいばってはイカン。しらないことも、たくさんあるのだよ。
28 あくびがでる。ねむくなる。なにもかもわすれる。あくびがでる。ねむくなる。なにもかもわすれる。こういうときが、いちばんすきだ。
30 雲をみていると、いろんなことをかんがえる。ほんとうの雲は、なんだかやさしくて、あったかい。
41 やさしい木や、やさしい山や、やさしい川などが、いるような気がします。そんな気がしてなりません。
『ドキドキ編』
122 ブランコというのは、とてもやさしい。ユックリとうごいてくれるので、小さな子どもにもどることができる。
135 カサのおばけが、ねるときは、カサをたたんでやすみます。あめはやみ、月や星が光ります。
149 アイスクリームによくにた雲は、たべるとどんなあじがするのでしょう?
154 けいとのてぶくろは、かあさんのあたたかさ。てぶくろをすると、こころもあたたかくなる。
169 いろいろなことはわすれて、はるは、ひるねをしましょう。そうしましょう。そうしましょう。
長新太は、自然と調和することを知っている。
それは、別の言葉で言えば、禅の心だと思う。
山も、川も、木も、森も、雲も、雨も、風も、太陽や月も、あらゆる動物も、そして季節の移り変わりさえも、全て、博士とゾウアザラシにとっては、皆が良いともだち。
各話の冒頭では、それら「自然の大きな力たち」は、博士とゾウアザラシにいたずらしたりするが、最後には「ごめんなさい」と言って、博士とゾウアザラシを、元の状態に戻してくれる。なぜなら、お互いが良いともだちだから。
ともだちは、ケンカしてもすぐに「ごめんなさい」と言って、また元の仲良しになる。博士とゾウアザラシと「自然の大きな力たち」の全ては、そんな良いともだち関係にある。
だから、その「自然の大きな力たち」と関係していく博士とゾウアザラシの旅は、けっして終わることはない。最初の話で、博士とゾウアザラシは自己紹介していたが、その後の第2話からは、まるでそれが当然のように、旅-目的のない、終わりのない旅-を続けていく。
そう、終わりがないから、最終の第200話でも、いつもと同じように、その時に巡り合った「自然の大きな力たち」の一人と別れを告げて、再びいつもの旅に戻る。「コマ」の左スミへ向かって、博士とゾウアザラシが歩いていく姿が、小さく描かれる。その下には、いつもと同じように「つづく」の文字がある。
でも、『なんじゃもんじゃ博士』はもうつづかない。長新太は既に亡くなっているから、「つづき」の第201話以降が、この世に出てくることはない。しかし、読者の心の中では、博士とゾウアザラシが旅を続けている姿が、ずっと「つづいて」いる。そして、こうして「つづく」ことによって、博士とゾウアザラシの姿は、けっして無くなることのない永遠のイメージへと、昇華するのだ。
芸術の目的とは何かと問えば、人が「自然の大きな力たち」と仲良くなることではないか、と今思っている。
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