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<書評...のようなもの>「Haircut(床屋談義)」

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ずっとRing Lardner(リング・ラードナー)という,1910年代後半にアメリカで活躍した短編作家の作品を読みたくて,いろいろとチャンスがあれば本を探してきたが,既に過去の流行作家となっていることもあり(日本で言えば,長谷川伸みたいなものか?),書店で購入するのは難しくなっている。

そこで,ひょっとして?と思い,ネットで検索したら,最近は著作権切れとなっている作品が多いようで,多数掲載してある。そのままネットで読んでも良いのだが,昭和生まれとしては印刷したものを製本して読むのに慣れているため,また文章をマーカーすることもあり,(さらに,近眼・乱視・老眼の三重苦なので)わざわざプリントして読むことにした。

その最初のものが,標題になっている「Haircut(床屋談義)(注:和訳題名は,私の意訳です)」だった。題名どおり,作者=床屋の主人が,床屋に来る客について物語る内容になっている。

ここで,今と当時では床屋の役割が違うことに気づいた。それは,今は床屋の仕事は髪を切るのと髭を剃ることとなっていて,メインは髪を切ることであり,髭を剃るのは付け足しのようになっている。

その理由は,今の髭剃り用カミソリは,昔のカミソリから大きく進化して,T字型の誰もが簡単かつ安全に剃れるようになっている。さらに,電動カミソリ(シェーバー)まである。しかし,当時はカミソリで顔を剃るには高度なテクニックが必要で,素人が簡単かつ短時間でやれるものではなかった。実際,私がカミソリ(ナイフのような形式のもの)で髭を剃れと言われても,怖くてできない。

それで,1910年代後半の床屋では,毎日ではないにしても,床屋に髭を剃りにくる客が多かったのだ。濃い人は毎日剃る必要があるだろうが,そうでない人は2日に1回剃っていても,あまり目立たないから良いし,なんと言っても,床屋としては髪を切るのは毎日とは行かなくても,髭剃りはほぼ毎日のように客が来ることになるから,十分良い商売になったのだと思う。

この事実は,意外と忘れられていると思う。

次に,わずか10頁ほどの作品を一読して思ったのは,さすが1910年代後半のアメリカの大衆に受けただけあって,難しい単語が出てこない。文章の言い回しもシンプルで,私のような外国人にはすらすら読める英文になっている。これは,意外と初級英語学習用教材に最適ではないかと思う。

それから,これは,当時の流行なのか,または英語で行う講談の用法なのか,ひとつのエピソードの終わりに,韻を踏んだキャッチフレーズのような文章を,バリエーションを付けて何度も繰り返している(付記:その他の作品を読んだ印象では,当時の文学作品の流行なのか,詩の形式による韻を踏む文章が多く,この短編小説も散文詩というイメージがあると思う)。

その実例を以下に列記する(理解しやすいように,前後の文脈を踏まえた,私の意訳を下に付けてみた)。

He was certainly a card!
彼は,本当に面白い奴なんだ!

He certainly was a caution!
彼のやることには,要注意!

You missed something!
読者は,良いものを逃したね!

They did not have no more chance than a rabbit.
彼らは,ウサギを捕まえるよりも良いチャンスを逃したね(柳の下にドジョウは二匹いない)

He was not no more dead than, well, rabbit.
彼は全く死んでいなかった,そう,ウサギよりも。

He certainly was a card!
彼(の人生)は,本当に面白かった!

Comb it wet or dry?
(床屋なので)櫛は,濡らすか乾わいたままか,どちらにしますか?
上の文章は,物語の最後に亡くなった登場人物の死に化粧(当時の床屋は死人の髭剃りもしていたようだ)について,作者=床屋が遺族に聞いている台詞になっているが,同時に物語全体を,濡れる(泣く)=悲劇か,乾いている(泣かない)=喜劇かのどちらで読みましたか?という,問いかけにもなっている。

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