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銭湯日記11 小さな屋根の中の大きな特徴 〜南湯〜

最寄りは西武の新桜台駅とのことなので、副都心線から一駅だけ西武線に乗る。・・・と考えたが、他社線分の運賃を払うのをケチって、小竹向原駅から歩いていく。
池袋から3駅とは思えないほど静かな小竹向原駅の地上出口から、遊歩道をしばらく歩いていく。4月を迎えても寒々とした雨の夜は、ただでさえ静かな遊歩道をますます寂しい気持ちにさせていく。
環七通りに出て、南下していくと一駅隣の新桜台駅に到着する。新桜台駅も地下駅なので、駅前広場のようなものはなく、地下への出入口が口を開けているだけである。
そんな環七通りから、脇に伸びていく商店街へ入ると、もうそこは江古田の街らしい。商店街名も「江古田商店街」に名前が変わっている。

銭湯マップを見ながら商店街からさらに脇に入ったが、マークの位置に銭湯らしきものが見当たらない。よくよく観察してみると、木が鬱蒼と生えた中に、短縮された円柱型の煙突が何かの遺跡のように伸びていた。入口はちょうど裏手のようで、こちらはバックヤード側らしい。

新桜台の駅近側に入口がないのを訝しんだが、西武有楽町線と駅の開業はおよそ40年前。その前のメイン導線は、少し離れた池袋線の江古田駅なので、入口が江古田駅側を向いているのも、当然のことなのであった。少なくともこの南湯ができた当時は、まだ新桜台の駅は無かった、そうした街の歴史を推測するのも、街歩きや銭湯巡りの中での楽しさの一つと言えよう。

そんなことを考えながら、再び商店街に戻り、表側へ回る。商店街の入口部分や玄関周りには、銭湯を表す屋号看板などが見当たらない。往来に対して、銭湯の存在を示しているのは、小さく営業しているコインランドリーの蛍光灯の灯だけである。

少し奥まった位置に、銭湯の母屋が見えた。内側の庭から伸びた大きな木が、母屋を覆うように立っている。その奥に心なしか小さく、妻入りの三角屋根が見えた。屋号看板も玄関脇にやっと見つけることができたが、これもかなり慎ましやか。しとしとと降る雨も寂寞とした思いに拍車をかけるようである。

玄関に入ると、左手にプラスチック札の下駄箱、その上に今日の薬湯の看板が出ている。昔通っていた銭湯にも見かけた薬湯看板だが、最近は見る機会が減った気がする。薬湯が銭湯利用者の楽しみになっていたのも、もはや過去のものなのかもしれない。

玄関右手に目を移すと、様々な掲示物の中に、これも慎ましやかに手書きの張り紙がされており、淡々と閉業を告げている。上部にはコロナ予防の注意書き、目線を下ろしたところに貼られているのが、閉業告知。ある意味重要な告知ではあるが、コロナよりも目立たないように貼られているあたり、この銭湯が置かれた状況が少し垣間見えた気がした。

自動ドアをくぐり、ロビーに入る。右手のフロントで女将さんにお金を払う。正面は、ローテーブルと黒の革張りソファの置かれた、小さいながら落ち着いたロビー。右手壁面にかけられた海の油絵も立派なものである。

天井を見上げると、歴史を感じさせる格天井。少し凹みがかかっているところも見えるのが、この建物の古さを物語っている。きっとその昔は天井ファンがあったのだろう、天井からは金具が吊り下がったままになっていた。
脱衣所は、昔ながらの小さめロッカーが並び、丸籠が2個だけ床に置かれている。こちらも鬱蒼とした坪庭もあり、その奥が化粧室のようである。浴室との仕切りの腰回りにもタイル装飾がされているのが、こだわりポイントだろうか。

浴室は東京では珍しい、男女湯壁面に沿った浴槽配置が目に付く。この感じ、どこか京都の銭湯に入っているかのような錯覚を覚える。天井を見上げると、白い壁と水色ペンキに塗られた柱、梁、そして梁下に通った補強材と思しきトラス組みされた鉄骨が目に入る。木の梁を補強するためのものだと思うが、梁の端の方は鉄骨から離れてしまっている。長年の湿気でたわんでしまったのだろうか。左右の立ち上がりは、他の銭湯よりも傾斜が急、天頂部は平らになっている。
カランは、右側の横型島カランと、奥の壁面に3台。南湯には富士のペンキ絵がなく、その代わりとして奥の壁面に、花の線画がタイルに描かれている。富士ならぬ「藤」の花のようにも見えるが、なんの花だろう。
奥の上部壁面は、下部壁面に出っ張るような構造になっているので、上部壁面を支えるための円柱が立っている。この柱だけはモザイクタイルばりになっており、装いが異なる。どこか赤線建築風でレトロな雰囲気を醸し出している。
この円柱を除くと、浴室のタイル張は大判タイルで、後年改装されたように見受けられる。この浴室で、前時代のもの感があるのが、ボイラー室への扉。ここだけは木造サッシの古いもので、先の円柱同様、浴室の良いアクセントになっている。
主浴槽は、手前がバイブラで、奥がジェットバス。丁度いい湯温で、のんびりと入ることができる。もう一つ薬湯浴槽が、浴室右端に小さく設置されている。どう見ても一人分の小さな浴槽、こちらは少しぬるめな温度感である。
主浴槽も端の薬湯浴槽も、他の東京銭湯では味わいにくい角度から、浴室を観察することができる。変わった配置の浴槽、天井を支える鉄骨、1枚だけ花のタイル絵、男女湯壁面につけられた浴室を照らす蛍光灯照明、レトロ感を与えるタイル張の円柱。その全てがもうまもなく見られなくなるのは、常連でなくとも寂しい気持ちを覚える。

風呂上がりにネクターを飲んでいると、ロビーの端に広報誌1010が積まれていた。過去のバックナンバーも含め、何号か置かれている。フロントのご主人に聞くと、持っていっていいとのことであった。餞別の品にもなりはしないが、拝借して失礼することにした。

外に出ると、春の雨は引き続き降り続いている。雨の夜だったせいもあるのか、閉業が近いにもかかわらず、人の賑わいは少ない。配置や建築などに独特の個性を携えた銭湯だったが、こうしてまた都内から一つの銭湯が消える。


①南湯・練馬区栄町・2021.4 訪問
②左:女湯、右:男湯
③妻入り
④短縮円柱型煙突
⑤フロント型
⑥木札型
⑦カラン23・シャワー22
⑧バイブラ、ジェットバス、薬湯

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