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「知っている」と「できる」は違うと改めて感じた話

なった人にしかわからない辛さがある。

前回のぎっくり腰からどうにか復活したと思ったら待っていたのかといわんばかりに仕事が入ることが増えた。明るい場所に人が集まるように、暗い人や気が落ちている人からは人が離れていく。非常に痛感。

前回の腰に異常が起きた際に分析から色々と学ぶことがあったけど、そこで改めて体に異常が起きたときに人は「どういうことを思うんだろう」ってことを今までは表面だけだったようなものからもう1枚2枚深い部分で物事を考えてみた。

1、本当の意味でぎっくり腰や緊急というものがわかっていなかった

自分は初めて腰を痛めて体の緊急と言うことを改めて感じた。(昔、スポーツでケガは何度も経験していたけど明らかにタイプが違っていた)

例えば今回だったら「痛みが取れない」「腰に力が入らない」「足に力が入らない」といった普段当たり前にやっていたことができないということがあった。

自分の身体の危機のようなものを体感して、普段、自分以外の人が困っていたり悩んでいたりしていることをがどこまで自分は普段の現場でどこまで理解できていたのだろうか。

2、お客様(患者様)の心理は瞬間で変わる。学ぶしかない

お客様が「これを食べると体に悪い」「これを飲むと体に悪い」中には「ブロック注射をしても治らないのよね」と言っていた方がある日突然腰を痛めたことによって「ブロック注射を1週間に1回打ちに行く」と言ったことも実際あった。

その時自分は「あまりこれは良くないのよねと自分で言っていたのに」と不思議に思っていたり「なんでこの人はブロック注射を打ちに行ったんだろう」と思っていた。わかっていなかった。

3、なった人にしかわからない痛みがある

それを今回強烈なぎっくり腰を体験し、痛みが取れない時に自分が思っていた事は、まさにお客様が普段言っていたことであった。

「1万円でも2万円でも3万円でもいいからこの痛みをとってください」
「治れば安いもんだ」
「痛みがとれたり楽になったり本来の状態になるのならブロック注射をしてもいい。むしろやって」

勉強していた中で、これはいいだったり、これは悪いむしろ体に良くない、なぜよくないのか、などメカニズムを色々と調べたりそれなりに説明したり勉強したりしていながら、いざ自分がそういう状態になった時、思う事は全く別世界の話のような話だった。

4、教科書だけではまるで意味がない

教科書に書いてあることや普段一般的に言われてることが、今までその人の中で通用していたり、存在していたものが、いざ緊急状態になるとそういうものがなくなってしまったり意味がなくなってしまったり理解と言うものもなくなったていくのか、想像もしない行動に出たり想像もしない発想をしていたりする。(と自分は思った)

その時にセラピストや周りにいる人、関わった人がほんとにどこまで相手の立場に立つ。というより「相手になりきって」感じて行動したりすることは誰もができることではないなぁと思った。

自分がもっとそういうことをしなくてはいけない。

ほとんどできていなかったのかもなと言うことを今回痛々しく感じた。
分かっていないことだれけだと思い知らされた。

今まで「知っているとできるは違う」と言うことをよく聞いていた。

まだまだ自分の知らない世界と言うよりも絶対知り知ることがないであろう人の気持ちや、人の考え方、価値観などわかってないことがたくさんある。

改めてお客さんの声を聞く姿勢を忘れてはいけないんだなぁと思い知らされ、自分たちの仕事の意味やあり方を見直さなければいけないなぁと今回の魔女の一撃から思い知らされました。

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