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写真展のこと

写真展について考える時間が増えると、ボクが如何に普段何も考えず好きなモノだけを撮っていることに気付かされる。同じような写真ばかり撮っていて、1枚1枚は良いと思えても、それらを同じ空間に展示することは難しい。普段から写真展のことを意識して撮っていれば良いと思われるかもしれないけど、ボクは目的がある散歩が嫌いだし、そのときの気持ちを無視した作業のような撮影に興味がないから今の状況になるのは仕方がない。昨日は2023年3〜5月に撮った写真を見返して、なんか良いなと思った写真をセレクトしてたら500枚くらいになった。似たような写真ばかりだから、最終的には10枚くらいしか残らないと思う。3ヶ月で500枚だから1年だと2,000枚。3年くらい振り返ろうと思っているから、6,000枚くらいが展示候補となる。そこからどう絞っていくのか想像するのも嫌になるけど、Twitterで写真展の告知をしたときに、『観に行きます』とコメントをもらえたことが支えになっている。ボクが撮った写真を見たいと言ってもらえることが嬉しくて、その気持ちに応えるためには、ボクが全力で写真展をするしかないわけだ。期待のハードルは、自分自身で上げてて、下手するとくぐれてしまうくらいの高さになっていて、どうやって跳べば良いんだと思ってしまう。陸上競技が苦手なので、ハードルを越えようとしても、上にジャンプするような感じでしか前に進めなかった。オリンピックで見るような美しいフォームを見ても、どうしてあんな姿勢ではしりぬけられるんだろうと不思議だったけど、ボクは彼らのような練習をしていないんだから当然のことだ。ボクがスナップ写真に費やしてきた時間が多いのか、少ないかなんか知る術はないけど、今日まで撮り続けられたのは、何か魅力があるわけだ。それがボクだけにしか通用しないのか、万人に共通の価値観になる可能性があるのかも、どうでも良い。ボクの写真を観ても、その辺で撮った写真ですね、という感想しか浮かんでこないことも十分に考えられる。一方で、そんなことがあるなんて想像もしていないけど、万が一ということもあるだろうから書いてみるけど、『私の人生の一部が見えました』みたいな、そんなこと言われてもどう返事すれば良いか戸惑ってしまいそうな、それでいてイメージするだけでボクの感情が揺さぶられるような出来事もあるかもしれない。写真展がしたいと思った理由は、まだハッキリと説明できないけど、写真を観に来てくれた人とボクは写真の話がしたい。だから、パッと見ただけで、判断できてしまうような写真は展示しない予定だ。何で撮ったんだろうと少し考える時間をつくってもらえたら良いなと勝手に思っている。音楽も良いところしか聴かなくなったり、要点をまとめた動画が巷では溢れていて、そんなに時間を無駄にしたくないの?と思う一方で、どうでもいいことに無駄な時間を使っていることがある。無駄を無駄と思うのかも、ボクが勝手に思っているだけで、ボクが無駄だと思っていることも、電車でたまたま隣になった人にとっては人生を左右するくらい大事なことかもしれない。ボクの中に在る基準なんてその程度なので、そんなボクが撮って選んだ写真で構成する写真展になるわけだから、それはそれは不安でいっぱいになるのも納得です。instagramに投稿したらあっとう今に1,000件以上のいいねが付くような経験をしているけど、そのときボクが得た反応は写真の本質というより、場所に対する海外の人の期待だと思っている。写真展で展示したい写真から位置情報を極力無くそうとしているそのためだろう。過去の自分を否定しているわけではなくて、ボクが撮った"写真"を信じているからこそ、"写真"を見て欲しい。これはボクのエゴなのかもしれない。それでも、観てくれた人に『来て良かった』と思えるような空間がつくれるように必死で考えるから、時間が許すようなら予定を調整して頂けたら嬉しいです。

タイトルはたぶん変わります。日本語一文くらいの、くどくなりすぎないものになるかなと思ってます。

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