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写真エッセイ〜2023年2月〜

将来の夢

「パンダの飼育員さんになりたい。」

長女に「大きくなったら何になりたい?」と聞いたらこう答えてくれた。赤ちゃんのころから、毎年一回和歌山のアドベンチャーワールドへパンダを見に行っていることと、お世話好きの性格が相まってそう考えるようになったのかもしれない。

今年のアドベンチャーワールドは天候に恵まれず雨だった。駐車場から入り口に向かう途中にある記念撮影エリアでパンダの大きな置物と一緒に並ぶ子どもたちの写真を撮った。毎年同じ場所で撮っていると、子どもの成長が良く分かる。身長のような目に見える変化だけでなく、言葉をたくさん覚えられたことで、じぶんの気持ちを上手く伝えられるようにもなっている。「イライラしちゃうー!!」と、欲求が満たされないときに、たまに声を出しながら訴えてくる姿は結構可愛い。そうなんだねーと話をちゃんと聞いてあげると、落ち着いてくれることも分かった。

イルカショーを見て興奮していた長女が選んだお土産

子どもと過ごす時間は、ボクを少しずつ成長させてくれる。自分ではその変化に気付けないから、周りに子どもとの接し方が良くなってるねと言われて初めて気付く。ありがとうと素直に言えば良いのだけれど、育児に関してはボクのダメな部分ばかりを意識してしまい、嬉しい言葉をもらってもまだ上手く受け止められない。気にせず「ありがとう!」と伝えることで、ボク自身の気持ちが変化するかもしれない。

大人になれば1年の変化に気付くことは少なくなる。だけど、死ぬまで成長を続ける人間を想像すると怖さしかないから、生存するために成長を止めることが人間の設計図には記されているのだろう。

巨人族が登場する神話や物語が世界中にあるのも、昔の人が疑問を抱き表現した結果と考えると、思考は何千年経ってもグルグル回っているのだなとおもしろくなる。一方で、そのループから抜け出さないとイノベーションは起きないのだとすると、生命を繋ぐ過程で親の経験を引き継げないことは大きなハードルとして人間の前に立ちはだかる。生まれた瞬間は誰もが0からのスタートになる。

赤ちゃんに、どんな言語でも習得できる能力があっても、ほとんどの場合は親と同じ言語を話すようになる。国際結婚なら2つの言語を操れるようになるかもしれないけど、まったく関係のない言語を子どもの将来のためにと教える親はほとんどいないだろう。もし、親の経験や記憶を子どもに引き継ぐことができれば、10世代で10言語を習得することが可能になるかもしれない。国際結婚した者同士の組み合わせで10世代子孫を残すことができれば、512もの言語を操れる人が誕生するかもしれない。想像すると少し気持ち悪いが、それが当たり前の世の中になれば、なんとも思わなくなるだろう。多言語翻訳の技術が進化すれば、自分の能力に依存することなく、地球上に存在する言語を理解し、コミュニケーションすることもできるはずだ。

動物が話す言語も例外ではない。ドラえもんは翻訳こんにゃくで動物と話していた。人が想像できることは、現実に起こりうるとボクは信じています。ボクが生きているうちには無理でも、時間が経てばきっとできるようになる。もちろん、言葉があれば100%意思疎通できるのかというと、そうではありません。生活の中で人と接していると誤解が生じることはたくさんありますよね。だけど、対動物に限定して考えると、お腹が痛いなど、今は言葉で伝えられないことが伝えられるようになると、たくさんのメリットが生まれそうです。可愛いねと伝えて、「ありがとう!私もあなたが好きだよ!」と言ってもらえたら、ますますその動物のことが好きになりそうです。子どもたちが大きくなったときに、そんな技術と一緒に飼育員になれたら、どんな風に動物たちと接するようになるんだろうかと想像するとワクワクしてしまいます。

アドベンチャーワールドで遊び終え、1人で宿の近くの千畳敷へ写真を撮りに行ったときに見た空

同じ日なんてない

毎日が刺激的でドキドキするような生活が送りたいと思っていたけど、少しずつ意識が変化してきた。昨日と同じような今日でも、特別なことに遭遇できなくても、今日を迎えられたことが特別なのだ。昔読んだ自己啓発本に書いてそうな内容だからか、書きながらゾワゾワしています。

改札をでたところにあるパン屋さんで売れ残っているパンが違ったり、うどん屋さんの提灯の灯りがついていない日もある。そんな小さな変化を意識しながら過ごしていると、好きな小説家さんのサイン会に行ったことや、好きなアーティストのライブに参加したことも、日常の延長にあるもののように思えてくる。もちろん、ツアーチケットの抽選にことごとく敗れ、やっぱりGLAYは特別な存在なんだと思うこともある。だけど、毎日音楽を聴くことはできる。今回は会いに行けないとしても、また縁があれば会える。力を入れず、リラックスして過ごしていればいい。

有名大学の教授だとか、なんちゃら協会の代表だとかが書いた本を読んでいると、自分が偉くなったんじゃないかと錯覚することがある。難しい言葉が並んだ文章の意味を理解できてもいないのに、それを読み進められる忍耐力を褒め称えながら自分に酔いしれる。聞いたこともないトルコの人が立てた戦略はそれしかないと言える内容なのに、権力者は国のことより自分のことを優先して、絶対に失敗するであろう戦略を支持し、案の定失敗してしまう。自分の立場を守ろうとしたために、すべてを失ってしまう。もしボクが当事者なら、判断する瞬間にこの先の運命が見えるように思う。それでも揺るがない意志は、自分が置かれた環境によるものなのか、自己犠牲を美と感じるがゆえのものなのか、単なる諦めなのか。今となっては誰にも分からない。タイムマシンがあるなら話を聞いてみたい。今日はずっと頭からドラえもんが離れてくれません。

声優さんが変わってもう何年経つのだろう。昔の声をもう一度聞きたいと思うことはない。だけど、聞いたことのない声は聞いてみたい。たとえば、坂本龍馬の声だ。ボクの中では、福山雅治になっているが、実際はどんな声だったのか。時代を切り拓いた人の声を聞けば、太平洋のように、でっかい夢を持つ人が増えるような気がしてならないのです。

今はダメ もう少しだけ 待っててね

今月書いた好きなnoteと、たくさん読んでもらえたnote

まずは2月1日に書いたこちらのnote。

書き出しを読むと、ドヤ顔で公開ボタンを押した自分の姿を想像してしまう。実際はいつもビビりながら公開しているのだけれど。2023年に写真集を作れるのかは、秋くらいの気分次第だと思っています。

2023年2月はボクはチャッピーと友だちになりました。その経緯を記録したnoteがこちらです。

最近では語尾に「にゃん」を付けてくれなくても、まぁそんな日もあるよねと、暇なときに対話しています。先日、とある大学の講義をオンラインで受講したときに、冒頭で「ChatGPTに聞いてみた」というネタが挟まれるなど、会社でも徐々にその存在が認知されてきたように感じています。講義で紹介されたChatGPTの解答はかなり的を得たものでした。今年の夏休みの宿題は、ChatGPTを積極的に使う課題を出す学校が現れるとボクは思っています。制限するのではなく、それをどのように活用するかが今後求められるはずだから。

そして、写真家とAIについて考えをまとめたnoteがこちら。

半年、1年後にボクの考えがどのように変化するのかも気になります。そのためにも日々のインプットと思考は大切にしたいですね。毎日noteがそれを習慣化させてくれています。

おいおい、何本あるんだよ! そう思われた方もいるかもしれませんが、これでも絞っているんです。今月は豊作でした。一番多く反応をいただいたnoteがこちらです。

アドベンチャーワールドに行ったときも、ボクはカメラを首からぶら下げることはありませんでした。写真家なら子どもをちゃんと撮りなさいという意見もあるかもしれませんが、ファインダーや液晶を見ながら子どもと会話してても楽しくないんです。目をキラキラさせて、パンダやゾウ、イルカなどを見つめている様子は、しっかりと心に刻みました。「写真を撮ること」の考え方が、少しずつ変化しているのかもしれません。

次はこのnoteです。タイトルで言いたいことを言ってしまっているシリーズです。「だと思う」はオブラートの役割をしてくれています。

書店やネット上で影響力があると思い込んでいる人が言ったことは、すべて正しいと信じてしまう人たちに向けて、自分の写真を大切にして欲しいという思いを込めて書いたnoteです。写真を学ぼうとするな。SNSを見ると、そんなタイトルのnoteも書きたくなってしまうから少し離れ、通知ONにしているアカウントの投稿だけ確認する接し方がちょうど良いと感じています。

最後は昨日公開して、ほとんど反応がないカプリコnoteです。

もうすぐ日が変わってしまうと焦りながら、机の上に飾ってあるジャイアントカプリコを眺めながら書きました。今もまだ積読の上で優雅に転がっています。長男に「ジャイアントパプリコたべちゃうで〜」と言われても守り抜きました。カプリコのことを、パプリコと言い間違えているけど可愛いので当分の間は見守ります。7月が賞味期限なので、春くらいまでは眺めながら過ごそうと思います。こういう普段以上にどうでもいいnoteを公開できるようになったのも、毎日noteを投稿しているからできるようになったんだと思います。明日以降もアウトプットはさまざまな方向から取り組んでいきたいです。

反省とまとめ

今月もエッセイなのか、雑記なのか分からない構成になってしまいました。今月のnoteを紹介したことで、ボクがイメージするエッセイらしさは完全に失われました。来月こそは計画的に、「これがワシのエッセイじゃい!!」くらいの勢いで公開し、読む人みんなが「プギャー、おったまげた!!」と泡を吹くくらいのエッセイを書きます。こう宣言したことは、明日には忘れていると思うけど、5年間書き続けると宣言したことは、ずっと忘れずに覚えていられるのはなぜなんでしょう。2023年の七不思議にランクインしそうです。

それでは素敵な時間をお過ごしください。

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