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好きな写真について #21

街ですれ違ったおじさんのスマホに入っている写真だけを使って、写真集をつくったとしても成立するはずなのに、写真集をつくるために写真を撮っている自分に気付いたとき、自分がちっぽけに感じた。自由に撮ればいいと思うんだけど、自由って何だ?とか考えてた頃。素敵だと感じた街や人や食事を写し、写真を見てくれた人にそれらと出会うキッカケを提供することによって、自分の存在価値を求めようとしていた。「教えてもらった場所に行ってきたよ」という言葉をもらえると今でも嬉しいし、「こんな場所見つけたよ」というメッセージをもらうともっと嬉しくなる。ボクのために時間を使ってくれたんだと思えるから。これらの積み重ねにより、もっといろんな場所を紹介したいと思うようになったけど、ボクは旅人のように毎日寝床を変えるような生活はできない。だから、今は誰かの行動に影響を与えるような写真より、生活圏で好きだと思った風景を撮っている。多くの人に見てもらえたら嬉しいけど、その先がまだハッキリと見えていないから、ハードディスクに保存される写真は増えても公開するに至っていない。Twitterの投稿は、過去のjpeg書き出しフォルダから組み合わせを変えておこなっている。好きな写真が届かなかったときは分かりやすい写真が受け入れやすい時代なんだなと感じるようになった。ボクの写真を受け止めてくれる場所はどこにあるのだろう。11月の写真展がその答えを見つけるキッカケになればいいな。

写真って、誰でも簡単に撮れちゃうから、見たときに「こういう写真だったら私にも撮れそう」と思われやすい。だからそういう写真を見せるときは、「あなたの身の回りにある風景の写真も撮ってみてくださいね」という気持ちを込めている。実際に届くかなんて分からないけど、通勤の途中で綺麗な光を見たときに「写真撮ってみようかな」と思ってもらえたらそれでいい。写真を撮る人が増えたからといって、ボクの写真は何も変わらない。誰か知らない人の写真を見て嫉妬する時間があるなら、人と話したり、本や音楽に触れている方が幸せになれるから。それでもその間をすり抜けて見たいと思える写真と出会うことがある。

今朝もそうだった。4時ごろに目が覚め、ウェザーニュースのアプリを開くと日本全国で日の出レポートが投稿されている。色が破綻した朝日の写真や、「今日は曇り空」とコメントが添えられた曇り空の写真。写真を見れば分かることをわざわざ言葉にするくらいだから、そんなに曇り空が憎いのかと想像したりするけど、ほとんどの人は目覚めてすぐに全国の朝焼けを気にすることはない。早起きが好きな人が散歩ついでに自由に撮ったな写真が見たくなってしまうのは何故なんだろう。スマホを傾けて、縦位置の情報を少しでも多く捉えようとした写真を見ると、普段からそういう撮り方をしてるんだろうなと想像してしまう。きっと写真を撮るのが好きなんだと思う。斜めに撮れば、映えるとか、盛れるとか、あまり好きではないけど、ボクの中にあるそういう価値観を変えることはできなくても、写真を好き嫌いで判断するのではなく、「どういう想いで撮ったか」を少し考えると苦手な写真も楽しく見られるようになる気がした。実験だからといって、ボクがそれを始めると沼にハマってしまいそうだから、出かけたときに出会った広告や雑誌で試してみたい。

「好き」を変えることは難しいけど、「好き」を増やすことはできる。ボクが好きな写真も好きになって貰えたら嬉しいです。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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