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好きな写真について

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好きな写真とは? その問いに対して、自問自答しながら考えているnoteです。
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#カメラのたのしみ方

好きな写真について #36

嫌いな写真じゃなくて、好きな写真について書こうと決めたのは、その方が幸せだと思ったからだ。 階段を登るときに、傘の先端を後ろに向けて歩いている人をまだ見かけることがある。後ろの人の目に刺さったら責任取れるのか?と問いたくなるけど、悲しい人だなと思うだけに留めている。ここに書くことで、ボクの中にあった負の感情も成仏してくれればいいのだが、どうなることか。梅雨が近づいており、週間予報を見るのも億劫になる。写真は晴れた日に撮りたいし、雨の日にも撮りたいから、どちらを望むのかという

好きな写真について #34

スナップ写真のワークショップ開催案内がTwitterに流れてくることがある。『すてきな切り取り方』といった宣伝文句を見るたび、あなたのすてきは私のすてきと必ずしも一致しないのにと思ってしまう。写真をどう撮れば良いか悩んでいる人に対して救いの手を差し伸べているように見えて、実は可能性を潰してしまう恐れがあることを真剣に考えている人は多分少ない。私たちは悩める子羊を救っているんだという意識があるから。残酷だよね。 ボクには写真を教えることなんてできないし、教えてもらおうとも思わ

好きな写真について #33

好きを意識していると、無意識の好きに気付けない可能性がある。 存在するものすべてを好きか嫌いで判断していたら、もう一生をそれに費やしてしまうだろうから、ボクたちは何も判断しないために存在すら意識していないフリをして自分を守っている。その意識していないものの中に、好きな写真が含まれていても不思議ではないし、きっと含まれている。では、なにがキッカケとなって感情の変化が起こり、好きな写真が現れるのだろうか。メカニズムの解明を1,000文字程度の文章しようとすることが無理な行為かも

好きな写真について #32

ボクがショア様の写真に憧れるようになってから、まだ5年くらいしか経っていません。だから読者の皆さまの中には、「ショア様??」という方もいらっしゃるだろうから、まずはこの写真集を読んでみてください。 本当にその辺の風景や、知り合いを撮っているような写真ばかりで、「刺激が少ないなぁ」という感想をもたれる方もいると思います。ボクはその刺激の少なさに惹かれ、同じように撮りたいと思える写真がたくさんありました。それまでのボクはSNSで1、2秒しか見てもらえない環境で如何にして興味を引

好きな写真について #30

FUJIFILM X100Ⅵ通常版の購入を見送ることにした。現行機を所有しているボクは、限定版で撮れることがX100Ⅵに求めていたものであり、通常版ではそれを満たすことができない。高画素になったといっても、GFXや他社のフルサイズ機にも劣る。高画素機を手にするなら、1億画素以上という強い思いがある。そして、何より今撮りたい写真はX100Vで撮れるし、これで撮れない写真のことを考える気にもならない。それくらいいいカメラなんだ、X100Vは。 ISOを1000まで上げているから

好きな写真について #29

何を撮っても好き。記録されている写真は、ボクが興味をもった風景だから当たり前のことだけど、パソコンに取り込んだ後に一手間加えることもある。FUJIFILM X100Vを使い始めてからそろそろ4年が経とうとしている。jpegで完結させるためにカメラの設定を微調整を始めたのは去年くらいだったかな。SNSへの投稿頻度は下がっているけど、写真を撮りたい欲は日に日に増していて、今日も朝、昼、夕方と雨の中、近所の似たような場所を散歩していた。時間が変われば、明るさも変わるし、そこに在るも

好きな写真について #25

心がザワザワしている夜。そのまま言葉を吐き出してはいけない。それなのに今朝も通勤電車で毎日noteを書かず、kindleでニーチェを夢中で読んでいた。背中には、ブレイディみかこさんの「他者の靴を履く」が入っているのに、今朝はそんな気分だった。作業机には、単行本版もあるけど、いつでもニーチェに触れられるように、amazonポイントでスマホにお招きした。「ツァラトゥストラかく語りき」。ボクが読んでいるのは河出文庫版だ。黄色い背景に鳥のシルエットが描かれた表紙を見た瞬間にときめいた

好きな写真について #24

昨年、12月23日から「好きな写真について」というタイトルでnoteを書いてきた。不定期更新ではあるが、これで24本目。毎日note更新の合間に、写真について感じたことを残したいと思ったときに書くことが多い。写真を撮ったり、見たりした後に、考える時間を確保できたとき、なんとなく残しておこうと思うと、前回の記事を検索し末尾の番号を打つ。ちなみに前回を振り返ってみると、「いままで気にしたことのなかった存在に気付いた写真」が好きだと書いてある。 街は生き物だから当然だろと思うけれ

好きな写真について #18

前回から1ヶ月以上も間が空いてしまった。 好きな写真について考えなかったわけではない。何度か書こうとしたが、途中から話が逸れて、タイトルを変更してしまったものがいくつかある。だから、今日は強い意志をもって書き終えたい。先に目次を書けば、話が逸れる心配もないのでそうする。どんな内容を書くか決めてないのに、目次を決めることがどれだけ馬鹿げたことかは実際に取り組んでもらえると分かりやすいと思う。まず、目次になりそうな言葉が出てこない。それでも何か書けば、それをキッカケに思考をスタ

好きな写真について #19

もう何度目になるだろう。iPhoneからツイッターのアプリを削除しました。スクリーンタイムを確認すると、SNSに費やしている時間はInstagramとFacebookを合わせて10分。自分でも驚いてしまうほどの変化でした。Facebookはキングコング西野さんの記事を毎日読みたいので、アプリがiPhoneから消えることは考えられません。彼のように人生をエンタメに全振りする生き方は真似できないから、追体験したい気持ちが表れているのです。 iPhoneに触れる時間は減りましたが

好きな写真について #20

記録したいと思って撮った写真のほとんどは見返すことなく眠っている。気まぐれでデータを漁ってみると、好きだなと思った写真があったので紹介しようと思う。

好きな写真について #21

街ですれ違ったおじさんのスマホに入っている写真だけを使って、写真集をつくったとしても成立するはずなのに、写真集をつくるために写真を撮っている自分に気付いたとき、自分がちっぽけに感じた。自由に撮ればいいと思うんだけど、自由って何だ?とか考えてた頃。素敵だと感じた街や人や食事を写し、写真を見てくれた人にそれらと出会うキッカケを提供することによって、自分の存在価値を求めようとしていた。「教えてもらった場所に行ってきたよ」という言葉をもらえると今でも嬉しいし、「こんな場所見つけたよ」

好きな写真について #23

今日も街で写真を撮る気になれなかった。梅田に行ったとき、雲ひとつない青い空と、街の風景が綺麗だった。立ち止まると、ボクの周りの空気が停滞して熱を保ちそうで、歩きながら風を感じ快適に過ごすことを優先した。思い出そうとしても、じっくり見た風景ではないから、横断報道を人が渡っていたかすら思い出せない。熱い思いをしてでも撮りたいと思える風景とは、どこで出会えるのだろう。数年前のボクに聞けば、ひたすら歩けと言われそうだ。 たまたま出会った良いなと感じた風景を撮るなら、歩くしかない。あ

好きな写真について #17

「これだ!」という答えが見つかったわけではない。20日も好きな写真についてnoteを書けていなかったが、公開できていなかっただけで何度か考えをまとめようとした。だけどできなかった。それらは下書きとして、中途半端に残っている。読もうとも思わないから、このまま無かったものとして処理する。そこにこのテーマに関する納得できる答えが書かれていたとしても、ボクがそれを答えではないと判断して眠らせた。noteを寝かせるのは、ちゃんと構成を考えて書こうと思うときだけで、隙間時間で書く文章にボ