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好きな写真について #23

今日も街で写真を撮る気になれなかった。梅田に行ったとき、雲ひとつない青い空と、街の風景が綺麗だった。立ち止まると、ボクの周りの空気が停滞して熱を保ちそうで、歩きながら風を感じ快適に過ごすことを優先した。思い出そうとしても、じっくり見た風景ではないから、横断報道を人が渡っていたかすら思い出せない。熱い思いをしてでも撮りたいと思える風景とは、どこで出会えるのだろう。数年前のボクに聞けば、ひたすら歩けと言われそうだ。

たまたま出会った良いなと感じた風景を撮るなら、歩くしかない。あそこに行けば必ず好きな写真が撮れるという場所もあるが、そればかり撮っていても何も面白くない。日常風景で見落としていた存在に気付いたときの「アハ!」を集めたいのだ。人混みでカメラを構えていると、通り過ぎる人もレンズの先を見てしまう。ボクが見つけた風景を奪われたような感覚が嫌になって、人通りが少ない場所を好んで撮るような時期もあった。今はそんなことどうでもいい。「この瞬間を切り取るボクは凄いだろ!」みたいな感情が薄くなった。ボクが撮る写真はどの写真も素晴らしい。写真を撮る人は、みんなそう思えば良い。そう思わなきゃ撮れないでしょ? 

すると、他人が撮った写真に対する興味も薄れていく。自分の写真は、他人と比較するような写真ではない。もし、ボクが写真コンテストに参加して審査員に響かなかったのなら、相性が良くなかったからだとしか思えない。ショアの写真を通りすがりの人に見たとしても、「へぇ、どこ? アメリカ? まだこんな車あるの?」くらいの反応が一般的だろう。写真は、見る者によって捉え方が異なる。写真に限らず生きている中で関わるすべての存在は、ある人にとっては大切な宝物であり、ある人にとっては名前を知ることもなく死んでしまうモノかもしれない。

ボクが好きだと感じる写真は、「いままで気にしたことのなかった存在に気付いた写真」だ。

コンビニの外観はいろんな街で見るけど、この写真を撮った後に、ガチャガチャが置いてあるコンビニって珍しいよなと思った。撮っていることは、正面のすりガラスの向こうにある椅子しか見てなかったけど、すみっこに写っているガチャガチャに考えさせられる。そういえば、子どもの頃お世話になった駄菓子屋さんにもガチャガチャが置いてあった。今では、ショッピングモールや家電屋さんくらいでしか見ることがなくなった。今後も街の風景は変わり続けるだろうから、ボクは同じように写真を撮り続け、「街はこんなに変わってるんだよ」と子どもたちと話ができたら楽しいだろうなと思う。ボクはそんな写真が好きだ。

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