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“夜と霧”を読んで



Contents
・本を手に取るまで
・印象に残った言葉
・「生きる意味」とは


<本を手に取るまで>

読後の感想や宇多田ヒカルがSNSライブで視聴者からの「仕事とは?生きる意味とは?」という質問に対してこの本を引用した、と聞き興味が湧いて読んでみました。


著者であるヴィクトール・E・フランクルが、アウシュビッツ収容所に被収容者として送られてから解放されるまでの体験記が淡々と綴られています。


ヴィクトール・E・フランクルは、オーストリア出身。「心理学の三大巨頭」の内の二人にあたる、アドラーやフロイトに師事し精神科・心理学を学びます。独自の視点を活かした「高層心理学」という言葉をあてた「ロゴセラピー」の創始者でもあります。

フランクルが生みだした心理学「ロゴセラピー」とは、辛い状況でどのように考えるかに重きが置かれる。「どんな時にも人生には意味がある」という力強いメッセージで、辛い逆境に陥った世界中の悩める人々を救い続けてきた。「逆境の心理学」とも呼ばれる。


日本語訳されている著作も多数あるようですが、私は代表作である「夜と霧」が初めてでした。


ナチス強制収容所での被収容者体験を元にした本作は、17ヵ国語に翻訳され、60年以上にわたって読み継がれているベストセラーとされています。

英語版だけでも累計900万部売れ、91年米国会図書館の調査で「私の人生に最も影響を与えた本」のベストテン入りを果たしているのだそう。。


私自身も著者は被収容者体験からこの考えに達したのだと思っていたけれど、元々持っていた独自の理論体系がこの凄惨な被収容者体験を経て、その正当性が検証することができた、とあります。


この「夜と霧」がその独自の理論を証明するものとなったそうです。


だから、とても力強いメッセージで世界中の人々の人生や観念に影響を与えたり、救いの手を差し伸べるような本を生み出せたのですね。


<印象に残った言葉>


この凄惨な体験記で沈みそうになりながらも、本作の中でとても強く印象に残ったのは、「生きる意味を問う」という章でした。

"ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換することだ”
“私たちが生きることからなにか期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちからなにを期待しているのか”
“もういい加減、生きることへの意味を問うことをやめ、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきだ”


人としての扱いや感情をも持つことも皆無の日々の中で、何のために生きているんだ、、終わりの見えない日々、こんな人生に意味はない、、と嘆く人々もいる中でフランクフルは、


「生きることに期待をするのではなく、生きていることは自分に何を期待しているのかだ」と説くのです。


この180度転換した物事の見方を変えることを「コペルニクス的転回」というそうです。


この「生きていることは自分に何を期待しているのか」という表現から、著者の精神性を感じました。そして、私自身の中にある傲慢さを教えてくれました。


「なにか成し遂げるために生きているのではなく、この命を「与えられたもの」として捉えてごらんよ。生きるための知恵だよ。」(読みながらそんな声が聞こえてきそうです…)


<「生きる意味」とは>

もう一つ興味深かったことがあります。
それは「心を閉ざさないこと」の方が得策である、という言葉。

・過去の生活にしがみつき心を閉ざす人

・美しい日の入りを一目でもみようと心を開こうとする人

この差は、生死の差でもある、とありました。
(解釈が違っているかも知れませんが…)


美しいものを美しいと思えることや生きるために活力を生みだせることが、病むことへのストッパーとなり、命をつなぐことにもなったようです。

いつか…を待つのではなく、常に「今」が本番のように振る舞って生きることが大切なのだ、ともありました。

「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。おびただしい被収容者のように無気力にその日その日をやり過ごしたか、あるいは、ごく少数の人びとのように内面的な勝利をかちえたか、ということに。            

この文章を読んだとき、「過去も未来も常に「今」に集約している」という言葉を思い出しました。

苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。


「生」というものの捉え方はもちろん、「生」に対しての姿勢がとても大切なのだと思いました。

生きることを意味あるのものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限される中でこそ、その覚悟にかかっている。


過去や未来に憂い思い悩み、引きずり続けている感情に囚われるのではなく、「今」を一生懸命生きながら、あるものに目を向けること・「生」を与えてもらった自分自身を幸せにしてあげたいな、、と自然と思えてきます。

「生きる意味」という問いは常に隣にあるもので、問われ続けている。常に、自分の在り方が問われ続けているだけなのかもしれない。

思い込んだもの勝ち、というように、本当に「私はこのために生きている」って自分で決めちゃっていいのだと思う。

私の友人の言葉で、その友人は「植物で人を癒すことが使命」って言っていたことを思い出しました。

「好きな服を着るために」、「穏やかに暮らすために」「誰かの役に立つために」でも何でも、好きなように描けるんだよって説いてくれているような気がします。

読み終えた時、心に灯火を灯されてあたたかくなる気持ちと大切なものを守っていきたい気持ちと、内側って本当に自由で心地いい居場所だなって思わせてくれるオススメの一冊です。

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