【再録】2月14日の靴箱【短編】

二月十四日。バレンタインデイ。
それは乙女にとっての一年に一回の戦いの日とも言える。なんてったって世間の同調圧力と周りの雰囲気により好意が滅多に突っぱねられない日なのだ。
内気で引っ込み思案のA子にとっては今日を逃せば一生内に秘めて終わるだけの恋心を発散させる日なんて存在しないようなものだった。
それに今相手は高校三年生。大学生を目指すA子と就職してしまうS郎。進路が離れ離れになってしまうS郎とはもう会うことがないかもしれない。
自己満足でもいい。悔いが残らないように「何かをしない」選択だけはしたくない。
そんな想いで作り上げた生チョコレートは我ながら上出来だった。
A子はキッチンで複数購入したラッピングの袋を選びながら考える。S郎にどうやって渡そうか、どうやって想いを伝えようか。頭の中で何パターンとも上映される恋愛劇はどれも夢みたいに甘い。フラれるパターンなんてありえない。そこではた、と気付く。
フラれたらどうしよう。
そもそも、A子はまともにS郎と会話すらした事がない。S郎はサッカー部の花形エースで、A子はそれを窓から眺めているだけの関係。S郎に認知されているかも危ういというのが正直な話だ。
フラれたらどうしよう。というか勝算がない。
後悔はしたくない!などと決意したとしても勝てない勝負はしたくない。でも、この想いを抱え続けるのも嫌だ。二律背反の感情を抱えながらも、A子は包装紙を選ぶ時間と同じくらい間、悩みに悩みぬいた。
「変わったチョコにしよう……」
フラれたくないから名前は書かない。その代わり、彼の記憶にずっと残るようなインパクトがあるチョコレートを作りなおす。他の女と同じではダメだ。彼の思い出に自分の行動が鮮やかに残った、そういう事実が欲しい。
チョコレートを作り直したA子は、悩みに悩み抜いた包装紙で包まれた箱にメッセージカードを挟み込み、決戦の日に挑んだ。


2月14日/AM06:30

S郎はモテた。
所謂塩顔の整った容姿に飛び抜けた運動神経。成績もそれなり。女相手には冷たいが、それでもクールな所がまた良いのだと周りを囲う女生徒からは黄色い声が上がるのだ。
冗談じゃない、とS郎はうんざりする。
S郎は昔から自分に好意を持つ女性が苦手だった。それと同時にこのバレンタインという行事が大嫌いだった。
一度目は小学生の時。クラスの女の子からチョコレートを貰って腹を壊した。覚えている限りは溶かして固めただけの普通のチョコレートだったと思う。ただ何故か歯が折れかけるほど硬くて、チョコレートとしか入っていないのに腹を下した。何故なのかはいまだにわからない。
二度目は中学生の時。チョコレートプリンに髪の毛が入っていた。その時ネットか何かでバレンタインのおまじない的なものが流行っていて、その中に髪の毛を入れると言う項目があった。他にも入れるものはあったが、読んだ瞬間吐いたし記憶から消した。本当に入っていたのかは知らない。
靴箱の中に入っている名前のないピンクの放送紙に包まれた箱。恐らくチョコレートだろう。この時点で嫌な予感はした。中に誰からかわかるようなメッセージカードが入っているかもしれないし、とりあえず中身だけ見てみようか。そう思い、包装紙を破って箱を開けてみるとメッセージカードが入っていた。
『これは呪いのチョコレートです。
今日中にこれをひとりに回さないと貴方は呪われます』
「チェーンメールか何かかよ……」
ここまで来ると流石の自分も意図がわからない。
気味が悪くてそのままチョコレートを手紙の指示通り近くの適当な靴箱の中に入れた。
あぁ、バレンタインにはやっぱりろくなことがない。
今日は三度目の最悪なバレンタインだ。


2月14日/AM07:45

死ね、バレンタインデー。
M崎N夫という男の嫌いなもの第一はレバー。第二は掃除。そして第三が今日、バレンタインデーだった。
普通に考えてお菓子会社の企画に乗せられる意味がわからないし、乗れなかった、巻き込まれなかっただけで憐れみと嘲笑の目で見られるのも意味がわからない。
M崎はバレンタインチョコを貰ったことがない。仕方ないな、とは思う。M崎は特に突出した能力もないし、イケメンというわけでもない。これでも多少性格が良ければ物好きな女性もいるかもわからなかったが、生来の卑屈さと捻くれさが非モテに拍車をかけていた。
そんなM崎に転機が訪れたのは高校三度目のバレンタインだった。
「……え?」
入っている。
チョコレートが。自分の名前が貼られた靴箱に。
「~~!!」
M崎の心は歓喜で震えた。
このモテない俺に!ついにチョコレートが!
手は震え、頬は勝手に引きつる。周りを見渡しながらこそこそと自分のカバンの中に箱を滑らせて、M崎は急ぎ足で教室に向かった。
いつもはビクビクと肩を狭めて歩いているが、今日はなんだか気持ちも大きくなってしまう。周りの男も小さく見える。
なんたって!俺は今日!バレンタインチョコを貰ったのだから!お前たち大多数の負け組とは違う!
大股で廊下を歩きながらトイレの個室に入り扉を閉める。便器の蓋に座り、跳ねる胸を落ち着かせながら箱の蓋をあける。
「……え?」
チョコ、じゃない。
箱の中にはチョコレートは入っていなかった。
代わりに小さなメッセージカードが。
『これは呪いのチョコレートです。
今日中にこれをひとりに回さないと貴方は呪われます』


2月14日/am06:15

好きな人がいる。
よく手入れされた長い髪の毛を揺らして歩く華奢な女の子。黒目がちな瞳と目があってビビっと来た。
一目惚れだった。
彼女は内気な性格から人付き合いが上手くないようで、仲良くなるにはかなり根気が必要だったけれど、出会ってから二年。今ではクラス、いや学校で一番彼女に心を開いてもらっているはずだ。
「……先輩にチョコレートをあげようと思ってて」
最初にそう相談を受けた時、ハラワタが煮えくり返るかと思った。自分は毎日の様に彼女に気を使って、悩みに耳を傾けて、少しでも好かれるように努力しているというのに、アイツは何もせずとも好意を抱かれるなんて!これがまだアイツの方も彼女の事を良く思っていて、なんてことならまだ許せる。だけど男と彼女は全く接点が無いのだ。認知されているかすら危うい。
モテない男ならそれでも唯一や、数える程だと大切に食べてくれることだろう。だが、もし貰い慣れている男なら?慣れてる男だとしたらきっと誰からかわからないものを食べることはないだろう。
その理論で行くと、彼女がチョコレートを作る意味がなくなってしまう!衛生的に不安なのは分からなくも無いが、それでも食べられずに捨てられるのは勿体無いし、何より彼女が報われない。

バレンタイン当日、男が登校する十五分前に靴箱の前に私は立っていた。卒業間近なのだから部活はないだろう。だというのに何をやっているのか分からないが、とにかくS郎は部活の朝練で毎日六時三十分に登校する。彼女はその三十分前ーー、つまり六時丁度にチョコを入れると言っていたからその少し後に自分は包装の中身を回収する。
男に食べられないのであれば、自分が食べてしまおう。
それは勿論食べられなかったら報われない、勿体ないなどの気持ちがあったのだが、一番割合を占めていたのは「自分は本命チョコなんて一生食べられないのに」という嫉妬の方がほとんどだったのかもしれない。恋愛対象ならまだしも、元々対象外の人間はいくら頑張ったって絶望的だ。
私は少しだけ重い気持ちを抱えながらS郎の靴箱をためらいなく開けた。ハートの包装紙に包まれたチョコレートはすでに靴箱の中に入っている。もう一度包み直すのだ。破かないように綺麗に包装を解くと小さな箱が現れた。
「中は生チョコだって言ってたっけ……」
きっと気合いを入れて作ったのだろう。あぁ、さぞかし美味しいのだろうな。半ばヤケになって箱を開けると、そこには中に入っていただろうチョコレートにまぶされていたのであろうココアパウダーの残骸と、メッセージカードしか入っていなかった。
『これは呪いのチョコレートです。
今日中にこれをひとりに回さないと貴方は呪われます』
「……そのチョコレートは?」


2月14日/am06:00

ついに当日になってしまった。
あれから急いで生チョコから方向転換したけれど、流石に造形チョコはやりすぎたかもしれない。一晩でこれを作れてしまう自分の才能が憎い。
リアルに再現されたサッカーボールとゴール、そしてS郎の顔を模したチョコレートが箱に入っている。あとはこれを靴箱に入れるだけ。A子はS郎の靴箱の扉に手をかける。
~~♪
「?!!」
驚いて跳ねた肩を落ち着かせながら周りを見渡す。いつもの一般生徒の登校の二時間前の時間だ。勿論誰もいるはずがない。自分の携帯か、と気づき画面のロックを外すとメールが一通届いている通知が表示されていた。
件名は「すぐに見てください」
送信者のメールアドレスには覚えがない。
なんだろうとメールを開いたが、A子は中身を見た瞬間あまりのくだらなさに思わずげんなりしてしまった。
『……して自殺してしまったのです。
これを見た貴方はメールを通じて彼女に呪われてしまいます。呪いを回避するには三日以内に三人にこのメールを転送しなければなりません。もしそれを損なうと』
朝早くからチェーンメールとはおめでたい。SNSが主流になって最近は見なくなったが、やっぱりこの文化は無くなってはいないらしい。メールを削除して早く教室で自習でもしようとチョコレートを上靴の上に置くと、ある閃きがA子の脳内を通った。
まだインパクトが足りないのではないか?
箱の中に入っているチョコレートの形を思い出す。
そうだ。たかが変わった形のチョコじゃそれだけで終わりだ。もっと心に残り続けるような、そんなチョコレートでないといけないのではないのだろうか。
先程のチェーンメールを思い出す。
今でも一番最初の時は覚えている。携帯を買ってもらったばかりの小さな頃、知らないアドレスから呪いのチェーンメールが届いたのだ。「死ぬ」「呪い」などの不安を煽るワードが怖くて怖くて、でも友達になんて嫌われそうで転送出来ないから、期限の何日間を泣きながら過ごした。
恐怖はいつまでも残るものだ。それは生物として当たり前のことで、生きている以上は一度体験した恐怖と気味悪さはいつまでもまとわり続ける。
A子は思い立って、鞄から予備の包装紙とメッセージカードを取り出す。メッセージカードに赤いペンで一筆書き、中身を避けた空の箱にメッセージカードを入れて包みなおした。綺麗に包まれた空箱をS郎の靴箱の中に入れて、金属の蓋を閉める。
怖がらないとは思う。だが、不可解なプレゼントは彼の頭の中にずっとこれから残っていくはずだ。告白して散った顔も思い出せないひとりになるよりもきっと、深くS郎の中に存在できる。
A子はティッシュに包まれたチョコレートを口に含む。S郎の顔を模ったチョコレートは力を入れれば簡単に砕けた。
「……上出来」
いくつか残ってしまったチョコレートはY華ちゃんにあげれば喜ぶだろうか。彼女は甘いものが好きだから。今日も顔を合わせるであろう親友の事を思いながら、A子は教室に足を進めた。









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