2012年 4月の日記(メモのような)

・ 「初対面のひともいる、わりと大人数のカラオケ」での楽しみ方をやっと見つける。「選曲でセンスを光らせたい」とか「趣味良く思われたい」「下手なことが なるべくバレないようにしたい」などという邪念をいっさい捨てて、潔くピエロになりきること。「好きな曲が歌いたい」なんていう純粋な気持ちも、このさい 見ないふり。サビで「一緒に!」とか「(伴奏にあわせて)ハイハイハイハイ!」など間の手をいれてるうちに、自分もなんだかハイになってくる。それでいいんだ、もう。可愛い歌は、こっそり歌えばいいんだ、と気づく。
・とても素敵な結婚式におよばれする。
・『絶頂マクベス』をみる。柿喰う客はアップル社みたいだ。バージョンアップバージョンアップ。葛木さんの動きですごくツボなところがありました。わかちあいたい。誰が、ここが、とあげていったらきりがないほどよ。
・篔さん・amaやん(※1)と晩ご飯。女あるあるや、脚本あるある、編集あるある、などなど話す。
・じゅりさん(※2)とお酒。あれこれ話してたら5時間近くたってた。
・打ち合わせなどなど。
・「Tシャツにつけたら可愛いんじゃない?」っていうパール的なネックレスを買ったのに、あんまりTシャツを持ってない(※3)ことにあとから気づく。
・ラジオ英会話をちゃんと聴いている。のに、範宙遊泳のお花見にきてたエリックとはろくすっぽ話せず。浮かんでくる例文は「Care for a cup of coffee?」だけだった。

・下北沢の古書店、 幻游社がなくなるときいて、とうとう下北沢が「わたしの」下北沢じゃなくなってしまうんだな、と寂しくなった。学生時代に働いていたレンタルビデオショップが様変わりしても、行きつけのカフェから顔なじみの店員さんがいなくなっても、それでも「わたしの」下北沢だと思えていたのは、幻游社があったからだ。 あそこにいけば、なにか読むためのものが必ず見つかった。『ぼくはくたばりたくない』も『赤い草』も、誰にも渡すもんかと思って急いで買った。
宝塚ファミリーランドが閉園したときにも、同じことを思った。あの遊園地がなくなってしまった今、もう宝塚は「わたしの」宝塚じゃない。※
※祖母の家があるので、それでも宝塚は特別な場所です。ただ、宝塚駅まわりの、あのどきどきする感じは、やっぱり失われてしまいました。

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*追記*2018/7/23
※1…ここでいう筧さんとは、筧利夫さんのことではなく、映画監督の筧昌也さんです。amaやんはamakoちゃん。前の年にデフロスターズ(後の小松台東)で共演したamakoちゃんと筧さんが知り合いだったので、3人で遊んだのでした。
※2…尊敬する先輩女優・高木珠里さん。憧れてるから、あんまりなれなれしくできない。この日はお酒の力を借りていっぱい喋りました。
※3…なぜか20代後半の頃「もうTシャツなんか着ない」と言って持っていたTシャツをばんばん人にあげたり捨てたりしていた。思春期にチビT(ピタTともいう)ブーム、上京してはB系の洗礼(XXLしか認めない)という、Tシャツに関して極端から極端に走らされた経緯から、正しいTシャツのサイジングがわからないまま20代を過ごしたのです。

春だからか、ちょっと精神的に落ちつかないような4月だったっぽいですね。大好きな劇団・範宙遊泳への客演が決まって、嬉しさと不安がいりまじっていたのでしょう。下北沢はこの頃から少しずつ変わっていって、今もどんどん変わっていますね。大好きなバレエのスタジオがあるから、今の下北沢はわたしにとって「わたしの」下北沢になりました。

日記が好きなので書き続けているわけですが、読んで、面白がっていただけたら、それほど嬉しいことはありません。いつもありがとうございます。