はやさか
はじめまして。はやさかです。 写真についての記事をまとめました。
はじめまして。 その日その日の気持ちをまとめました。
はじめまして。 自己紹介代わりたちをまとめました。
はじめまして。 ふとした思いをまとめています。
最近、洋服や靴などのいわゆる「服飾品」を買っていない。 ここのところ、いいなと思う洋服に出逢いにいくことや、こんな靴ほしいかもってリサーチすることから遠ざかっていた。 いつからだろう? 大きい区切りはコロナ禍になってから。 どんなにときめく洋服を買っても、それに見合うお出かけの予定が立たなかった。 結婚して、お財布が自分のものだけじゃなくなったことも大きい。共働きなんだから、2人で暮らしていく分には自由に使えるじゃんって思ってたけど、その先何十年と続く生活を思うと、オシャ
「シティガール未満」を読んで 田舎から上京した人間に対し、 並々ならぬ感情を持ってしまうことに気づいた私。 その感情をもう少し観察したくなったので、 ここのところは「田舎から上京した人間」によるエッセイを読み耽っている。 又吉直樹の「東京百景」を読んだ。 東京の街に紐づく著者の日記が百篇綴られている。 「シティガール未満」と全体構成は似ているが、 書く人によってここまで纏う雰囲気、受け取る感情が異なるのか、と驚く。 「東京百景」では日常風景と地続きのまま、フィクションが綯
って思う、ここんとこ。 喫煙者でも無いし、喫煙経験も無いので、 「概念としてのタバコ」を摂取したいだけ。 つまりは気持ちのリセットボタンがほしいんだな、 と思い至った。 最近朝から晩まで働いている。 「朝から晩まで」なのは 社会に出てからずっとそうだけど、 「朝から晩までフルマックスで」なので なかなか堪えるものがある。 そしてフルマックス具合に比例して ささいなミスがじわじわ増えていて 自己肯定感がじわじわ下がっていて 非常によろしくない。 そんな悪循環の最中、
友人がカラオケで歌っているのを聴いて、今更踏み入れたヨルシカ。去年いちばん聴いていたアーティストだと思う。 ラッキーなことにライブのチケットを入手できて、きっかけとなった友人と一緒に、ライブに行ってきた。 世界観が徹底されたそのライブは、一つの物語の朗読と楽曲で交互に紡がれ、進行していく。MCなどは一切挟まれない。 朗読も楽曲もほとんど全ての詞がスクリーンに表示され、観客は耳と目を通して、その文章に触れ、咀嚼する。音源でしか聴いてこなかった(たまたまMVも一切見ていなかった
「読んだ本の感想をnoteに書いてみませんか?」 久方ぶりに編集ページを開いたら、飛び込んできた文字に心臓をギュッと掴まれる。 だって、そうしたくってnoteを開いたから。 良いなと思うエッセイに出会って、著者のnoteも読み切って、それでもまだ気持ちが収まらなくって、ここに辿り着きました。 「シティガール未満」(絶対に終電を逃さない女 著) 都内各地にまつわる著者の思い出を綴ったエッセイで、 そんな「シティガール未満」と自らを評する著者自身の感性に触れることができる作
夏から秋にかけて 久しぶりの友達と会う機会が ちょくちょくありました。 帰省したり。 異動したり。 会う友達によって 話題もちがっていたり 視点もちがっていたり 私の立ち位置もちがっていたり いつもは使わない場所を ぐるぐるフル回転させて おしゃべりをしました。 すると、 ああすごい話合うな、 次から次へと話題が途切れないわって いうこともあれば えーと、次何話そうかな、 これはちょっと違うかなって 躊躇することもあって。 お互いにそれぞれの生活で 各々の価値観
ちょっと寒い室内に 香ばしいコーヒーの香りが漂う。 ふっ、とわたしは違和感を覚える。 なんだろう、この感じ。会議は続いている。 その感覚をなぞるように辿ると ああ、冬の空気だ、と合点がいった。 少し下がった気温に 暖かいコーヒーの香りが混ざって、 わたしはマフラーとコートに身を包み 外でだれかを待っている。 一瞬だけ冬の空気に包まれたみたいだ。 そして、 キュッと澄みきって 万物をそぎ落とすように 凛とした空気がとても愛おしくなった。 それは、 寒空に矢を放
自分の機嫌を自分でとるのって つくづく難しいなと思います。 特に恋人や家族といった 心を許しきった関係の相手。 自分が疲れているだけなのに 相手の言動にイライラしたり。 子どもじみてて、すごく嫌なんだけど 未だに抜けきらないです。 今日もやってしまった。 つい甘えてしまうみたい。 機嫌を悪くする前に 自分でストレスを自覚して、要因を見定めて。 それからちゃんと言葉にして相手に伝える。 当たり前なんだけど できていないこと。 反省と備忘をかねて。 #日記
久しぶりに会う会社の先輩とご飯を食べました。 同じ会社と言えど、 全然違う業種なので わたしの持つ目線とは角度が違っていたり キャリアに対する考え方も違っていたり 良い刺激だなあと思って おしゃべりしていました。 ただ、いちばん刺激的だったのは 「すっかり社会人になったね〜」って言われたこと。 先輩とは1年目の頃にお世話になったきりだったので、3年目の私はそう見えたのだなあと。 嬉しくもあり、寂しくもあり。 いつまでも染まりたくないなあという 反骨精神は持ち続けてい
人間、疲れきってしまうと 思考がとてもシンプルになります。 という気がしています。 ちょっとした見栄とか、 変な義務感とか、 先々のどうしようもないこととか、 そういう心の外側を覆っているものたちが 剥がれていく感じですかね。 剥がれたら、 心の内を文字にしたくなったので noteにやってきました。 正直、 更新への義務感から足が遠退き。 途中でやめてしまった後ろめたさから さらに足が遠退き。 春が過ぎ。 夏も過ぎ。 転勤し。 引っ越し。 そして、残業めっちゃ疲れた
好きな人には敵わないなあ。 という言葉がふっと浮かんで消えていきました。具体的に、誰が、とか何が、とかはないけれど、満たされた気持ち。 好きでいて、好きでいてもらっていて、 考えを素直に口にできて、 発した言葉が無下にされることなく 撫でられたり、トスされたり、 同じくらいのペースで前に進んだり、 各々のペースをわかちあったり、 そういう人と出会えて、一緒に過ごせるんだから、なんだかんだ私の人生スキだなあ。 春はちょっと離れている人とも せっかくだからって会える季節で
今日は一日デスクワーク。 たまに息抜きしないとやってらんない。と思って、久方ぶりに「ペイント」に手を伸ばす。何も考えずに幾何学模様みたいなものを描いて、毒々しい色をつける。今、後ろから覗かれたらやばいなあなんてニヤニヤしてたら、「ペイント3D」なるアイコンを発見。なんだろうと思って開くと、新たなキャンバスが。適当に描いて動かすと、すごい!立体になっている〜。 さっきの毒々しい模様を、3D人間のお洋服にしたり、卵の柄にしてみたり、自由自在である。これが標準装備とは、めちゃめちゃ
先日、小学校の修学旅行振りに「写ルンです」を使ってみた。 デジタルで撮ることに慣れきった私には、ファインダーが小さいことやピントが合わせられないこと、そしてどんな写真が撮れているか全く分からないことに大変戸惑った。 ただ、その分からなさが楽しい。 ファインダーから見える景色は、覗いた私だけが独り占め。現像までは、どんな液晶にも、誰かの目にも映れない。ファインダーを覗く片目の私はまるでカメラにタイマン勝負を挑むようで。一度のシャッターに、こんなに息を殺すことって今までなかっ