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じぶんで決める、ということ。
子どもが木登りに挑戦する姿を例に『じぶんで決めるということ』を書いてみる。
『たかい・・・。でも、登りたい!』
大泣きしながらもじぶんの手足で登ることもある。
『こわい・・・。今日はやめよう』
いつも登って遊んでいる木でも、遊ぶのをやめる判断をすることもある。
『ぜんぜんできない!でも大きくなったらできるようになりたい!』
自分では手が届かないところまで登っているお兄ちゃんお姉ちゃんを見てずーっと憧れて、何年も経ってから叶えることもある。
『お母さん、だっこして』
『お父さん、登れない』
小さい子はお父さんやお母さんに登らせてもらおうとすることが多いけど、お兄ちゃんやお姉ちゃんが楽しそうにしているところまでは届かない。
そこから先に進みたければ、大人の手を離れてじぶんの手足で登る。
怖ければ、やめる。
登るのもやめるのも、じぶんで決める。
どちらを選んでもいい。
どちらを選ぶにしろ、じぶんで決めるということがミソなんだ。
時々『落ちたらママのせいだから!』なんて言いながら登る子もいるけど、他人のせいにしているうちは本当に落下・大怪我に繋がりかねないし。
本人が乗り気でないのに周りが『登れるでしょ、がんばれ』なんて言うのも、落下・大怪我に繋がりかねない。
つまり、じぶんで決めたのか、そうでないのかによって、その後の結果ってかなり変わる。
世の中正解なんてないことが多くて、
『これでいいのかな』なんて迷いながらも何かを選びながら生きていくから。
ひとつずつ、ひとつずつ『じぶんで決める』を積み重ねて、
じぶんで決めたことをじぶんなりの正解にしながら生きていけたらいいのではないかなあ。
(今日、『じぶんでじぶんを制御できない大人が増えているのでは?』という話をしたところだったので、思ったことを書いてみました まる)
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