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朝井リョウ 『正欲』の感想

「読む前の自分には戻れない」
読んだあと、素直に触れ込み通りの感想を抱いた。

すごい作品と出逢ってしまった。本を読んである程度、価値観が変わることは誰だってある。だけど今回の変化は、現実を的確に捉えすぎてて、知らなくても良いことを知ってしまった苦しみだった。彼はある1つのテーマをあらゆる視点の登場人物になり切って、心情を描くのが上手い。今回のテーマは「多様性」とでも呼べば良いか。

プロットが美しい。1番最初のキーとなる文章から、その伏線を回収するまで、219ページかかった。その間、視点が切り替わるのだが、視点の切り替えも上手すぎて、次から次へとページを捲ってしまうため、息継ぎできずに溺れ死ぬかと思った。それほどまでに救われない話だった。ただ219ページから最後の379ページまで、蜘蛛の糸ぐらい頼りないものだったが、少しだけ希望への繋がりが見えた気がした。

※以下、ネタバレ注意

目次がないので、作ってみた。

P14 寺井啓喜 2019年5月1日まで515日
P25 桐生夏月 2019年5月1日まで515日
P36 神戸八重子 2019年5月1日まで515日
P53 寺井啓喜 2019年5月1日まで444日
P61 桐生夏月 2019年5月1日まで443日
P71 神戸八重子 2019年5月1日まで395日
P82 寺井啓喜 2019年5月1日まで365日
P90 桐生夏月 2019年5月1日まで311日
P104 神戸八重子 2019年5月1日まで267日
P122 寺井啓喜 2019年5月1日まで267日
P129 桐生夏月 2019年5月1日まで249日
P157 神戸八重子 2019年5月1日まで172日
P168 寺井啓喜 2019年5月1日まで154日
P178 桐生夏月 2019年5月1日まで121日
P191 神戸八重子 2019年5月1日まで121日
P198 寺井啓喜 2019年5月1日まで121日
P205 桐生夏月 2019年5月1日まで121日
〜空のページ〜
P221 佐々木桂道 2019年5月1日まで89日
P238 諸橋大地 2019年5月1日まで23日
P255 寺井啓喜 2019年5月1日まで1日
P269 佐々木桂道 2019年5月1日から19日
P288 諸橋大地 2019年5月1日から50日
P301 寺井啓喜 2019年5月1日から51日
P309 佐々木桂道 2019年5月1日から51日
P332 諸橋大地 2019年5月1日から52日
P350 田中幸嗣 2019年5月1日から80日
P357 寺井啓喜 2019年5月1日から82日
P354 神戸八重子 (日付明記なし)

なぜ目次を作ったかというと、何人の立場から物語を描いていて、時系列がどうなっているのかを知りたかったからだ。

目次を見てもらえば分かるが、端的に6人の視点の切り替わりがある(1人はそこまで登場していないので5人と捉えてもいいかもしれない)。それぞれが個性を持っていて、それがぶつかり合うのではなく、ただ見えていない価値観があり、読者の私たちにはそれが見える状態だ。例えば神戸八重子の場合は、文化祭の実行委員の立場にある大学生の女の子だ。彼女は兄が「素人JKの妹」というAVを見ていたことから男性の性的な視線が気になってしまい、男性が苦手になってしまった。そんな彼女は、文化祭で美しいだけが取り柄のミスコンを主催することに違和感を持ち、ミスコンに代わるダイバーシティフェスを立ち上げる。そのダイバーシティフェスのテーマを「繋がり」と称し、「LGBTQのような多様性を認めるような関係性にしよう! みんなが抱えている多様性を明らかにして繋がろうよ」と呼びかける。

そんな中の別の視点である桐生夏月は、多様性についてこう語る。

多様性とは都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突きつけられる言葉のはずだ。ときには吐き気を催し、ときには目をつぶりたくなるほど、自分たちにとって都合の悪いものがすぐそばで呼吸していることを思い出させる言葉のはずだ。

この2人の多様性の意味は異なっていて、それでいてどちらも主観的には正しい。どっちの気持ちも分かりすぎてしまい読み進めていて気持ちがパンクしそうだった。

時系列について。事件が起きたのは2019年5月1日から52日のことだった。ちょうど332ページのところだ。事件の詳細は最初の新聞記事と、350ページ以降の取調室で少し触れられている。最初の新聞記事からの印象と事件は全く違うものになっていた。
なぜ2019年5月1日を起点として日付が記載されているか。それは、不登校の小学生の泰希と彰良のYouTubeチャンネルの名前が「次の年号まで〇〇日」だからという理由しか思いつかないのだが、誰か他の理由が分かる人がいたら教えて欲しい。

キーワードとして「無敵の人」がある。「無敵の人」と聞くと、私はマリオのスター状態を思い描くのだが、ここでいう「無敵の人」は、家族や社会的な繋がりがない人を指している。それも面白いと思った。

他にも沢山の面白い表現・ハッとする文章が散りばめられていたので以下にまとめる。

好きな言葉集

・匍匐前進でもしているかのようにクエスチョンマークマークが迫ってくる
・悪い意味でうっとりした
・社会を形成している最小単位が恋愛感情によって結ばれた2人組
・人間は思考放棄したときによくこんな時だからこそと言うんだよなと思った
・会話は成立しているのに対話ができていない
・若いってああゆうことだよなと思う。背中に余計な脂肪がついていないこと。自分の隙を埋めるために思いつきで誰かの感情を引っ掻き回してもいいと思っていること。
・多様性とは都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突きつけられる言葉のはずだ。ときには吐き気を催し、ときには目をつぶりたくなるほど、自分たちにとって都合の悪いものがすぐそばで呼吸していることを思い出させる言葉のはずだ。
・マジョリティー側に生まれ落ちた故。自分自身と向き合う機会は少なくただ自分がマジョリティーであると言うことが唯一のアイデンティティーとなる。そう考えると特に信念がない人ほど自分が正しいと思う形に他人を正そうとする行為に行き着くと言うのはむしろ自然の摂理なのかもしれない。
・商店街にある小さなチラシに傷つくことをやめれば、毎日踏みしめている大地が死ではなく生の方向へとほんの少しでも傾斜してくれる。
・ただのいちども被制圧側に回ったことのない、生まれ持った何かで不当に何かを制限されたことのない、そのような状況に自分が落ちることを想像すらしていない人間たちの無自覚の特権階級度合いに圧倒される
・この世界にはきっと、2つの進路がある進路がある。1つは、世の中にある性的な感情を可能な限りすべて見つけ出そうとする方向。規制する側の人間ができるだけ視野を広げ、性的な事に当てはまる事象を限界まで掘り出し、1つずつに規制をかけていき、誰かが嫌な気持ちを抱く可能性を極力積んでいく方向。もう一つは自分の視野が極端に狭いことを各々が認め、自分では想像できないことだらけの、そもそも端から誰にもジャッジできない世界をどう生きていくかを探る方向。
・自分とは違う人が生きやすくなる世界とはつまり、明日の自分が生きやすくなる世界でもあるのに。
・異性がいない空間だから話せること。それがテーマになったとき、人はなぜか、自分の奥底を見せたがる。そこを見せあってからが始まりだと言わんばかりに、自分を逆さまにして振らんばかりの勢いで、中身をよりぶちまけたほうが勝ちというような戦いが始まる。
・人間がずっとセックスの話をしているのは、常に正解を確かめ合っていないと不安なくらい、輪郭がわからないものだからだ。
・みんな本当は、気づいているのではないだろうか。自分はまともである、正解であると思える唯一の拠り所が多数派でいるということの矛盾に。自分の中に眠る不安を把握するより、ないがしろにするしかなかった人たち。

実は朝井リョウさんの作品を読むのが『正欲』で初めてだ。今更ながらで多少恥ずかしいが『何者』も読んでみようと思う。

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