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宇佐見りん 『推し、燃ゆ』 の感想

「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。」
この文から始まる。この小説は、『推し』に対する感性が細かに描かれている。

2004年、19歳の綿矢りささんが『蹴りたい背中』で芥川賞をとった。当時私は中学生だったからか、小説内の高校生が無防備な背中を蹴りたい感覚は分からなかった。

2021年、21歳の宇佐見りんさんが『推し、燃ゆ』で芥川賞をとった。現在、26歳で社会人3年生の私が、小説内の高校生が推し活をこんなに熱心にやっていることは、正直共感はできなかったが、面白いなと思った。

あらすじ

主人公あかりは、アイドルの真幸くんを推している。あかりは、高校生で、あまり勉強もできなければ、家族ともうまくいっていない。ただ真幸くんのラジオやテレビでの発言を記録し、”ブログを書く”ことに関して、心血を注いでいる。『推しは私の背骨だ』と言っているあかりの推しの中心の生活が小説を通して、かい間見える。

感想

推すことの定義は広いなぁと考えざる得ない小説だ。
例えば、あかりは言語録を通して、推し活をしているし、推しがファンを殴ったと聞いても推しが結婚するかもしれないと聞いても、動じず(感情の動きはあったが、それで推さなくなることはならず)推し活を全うし続けている。
一方、親友の成美は、「会えないアイドルより会える地下アイドル」と考え、推しとの触れ合いを重視して推し活をしている。成美は二重に整形して、推しと”付き合うようなこと”をすることになる。
また、あかりの推しの真幸くんがファンを殴ったとき、真幸くん推しだったファンは、好きだったぶん、極端にアンチになってしまったりする。
推しに対しての幻想の抱きかたは人それぞれだし、推し方も人それぞれだなぁと実感した。

また、「好きなことがあることは良いことだ」と思っている親でも、自分の子供が勉強そっちのけ、片付けもしないで、ろくにご飯も食べないで、バイト代を全て捧げて、推しを推している姿を見ると、怒りたくもなるようだ。”推しが好きで全力で推している”ということはあまり周りから認められず、”野球が好きで全力で野球をやっている”や”歴史が好きで全力で歴史の勉強をしている”などは認められるのって、なんか不平等だなと思った。

推す感情について

私の好きな小説に、村田沙耶香さんの『消滅世界』がある。この小説では「家族」という概念も「セックス」という概念も変容していて、恋人は実在している人間ではなく、キャラなどの偶像になる。

今の世界は少しずつ『消滅世界』に近づいているのではないかと感じることがある。人間に恋愛すると裏切られることがある。また昔と違って結婚しなくても生きていけるし、むしろ結婚したほうが損なのではないかという価値観もある。恋愛結婚が主流になった今、恋愛して結婚して家族をつくる。そのことが億劫になっている人も多いのではないかと感じる。
特に今の時代、現実を見渡しても、美男美女は少ないのに、TikTokでスワイプすれば、YouTubeを観れば、美男美女がゴロゴロいる。気軽に推せるそれらの相手は、インスタライブなどを通じて、自分とコミュニケーションも、とってくれる。美男美女もコンテンツと化し、消費する今は、わざわざ傷つくような恋愛をしなくても、同じような胸のトキメキを、これらのコンテンツを消費することで得られる。

面白い時代になってきたなと感じる。これからの恋愛・結婚・家族・社会、どうなるんだろうな、楽しみ。

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