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学校嫌いの学校通い

わたしは学校というものが苦手だ。それはもうずっと昔からそうである。学校が苦手な人なんてたくさんいるだろうけれど、わたしはズル休みはおろか、登校拒否もしたし、あげく退学もした。これはもう性分というしかないかもしれない。そんなわたしが学生時代から何年も経て、こうしてわざわざ異国の地で学校というものに通っている。自分でもおかしなことだと思う。でも自分で選んだものに嫌悪感はない。ただ、「学校っぽさ」というものは何年経とうが、どこであろうがイヤなのであった。

もう大人なんだもの、そして周りもみんな自分で選んで勉強しに来ているオトナなんだもの、学生時代の学生たちばかりの学校とはわけが違う。校則で縛られるわけでもないし、先生の言うことは絶対、でもないし、制服もなければ給食もない。っていうかもうここは目の色も髪の色もそれぞれで、先生よりも年上の生徒だってたくさんいるし、いわゆる教壇のあるスクール形式なんて部屋はないし、まぁ、自由な雰囲気だ。

じゃあ学校の何がイヤなんだろうな。多分、みんなが一斉に何か同じことをやったり、決まったことをやらされたり、いい子にした方が良い感じ、の雰囲気がイヤなんだろうな(なんか学校なんだから当たり前じゃん、みたいなことばかりだけど笑)。わたしはそういうことがことごとく苦手なわけで、極力マイペースな気分で授業を受けていた。だからといって勉強をテキトーにしていたわけではない。あくまでも態度の話である。

わたしはマジメに学校に行っていたし、日本では考えられないほど遅刻もしなかったし、宿題もちゃんと頑張っていた。でも次第にその学校っぽさに馴らされていくのがイヤでたまらなくなり、英語が思うように上達しない苛立ちもあり、さらに優等生テイストの先生や生徒たちに辟易し始めてもいた。もちろん、誰のことも嫌いになったりはしなかったし、みんなとフレンドリーだったけれど、わたし自身は学校の生徒らしく良い子の振る舞いをする気にはなれなかった。そう言ってしまうと、反抗的な印象を与えてしまうかもしれないけれど、まったくもってそんなことはない。もう中学生じゃないんだ笑

学校には優秀な生徒がたくさんいた。多分もう留学する前からだいぶ勉強していて、さらなるブラッシュアップのためにロンドンに来たのであろう生徒もちらほらいた。彼らは先生たちとももうそれなりに話せるし、目立った存在だった。そのうちの一人にイタリア人の若い男の子がいた。おそらく進学するための準備で来ていたのだろう、勉強熱心で英語もよくできたし、イタリア人らしい明るく陽気で飾らない性格でみんなに好かれていたし、いつも大きな声で流暢に喋っていたからやっぱり目立っていた。そんなオープンな性格だから、わたしもクラスで出会ってすぐ友達になった。あんな風に喋れる日が来るのかなー、すごいなー、そんなことを思いながら。だがしかし。1ヶ月後、その彼が羨む出来事がわたしに起きるとは。まったくの想定外だった。続く。

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