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アソートチョコの新顔と宇宙人の経済活動

久しぶりに帰省したら、知らないやつがいた。


この間、どうしても甘味が欲しくなってクリエイトのお菓子コーナーを物色していたら、ふと懐かしいパッケージが目に留まったのでそのままレジに持って行った。

しかし、開けようとしてよく見ると、一番左端にバナナチョコという見たことのないチョコ菓子がいた。
こんなやついたっけ?



マーブルもアポロもチョコベビーもコーヒービートも、全部筒状のパッケージに入ったものを買ったことがある。

どれもパッケージを見ただけで味を思い出せるほど馴染み深い商品だ。
でも、この黄色い猿のパッケージのお菓子だけ、目にも舌にも全く覚えがない。

旧友たちと久しぶりに会う約束をして飲み屋で集合したら、自分以外の旧友たちに紛れて一人だけ知らない男が先に来ていて、しかも皆で楽しそうに話しているのを目の当たりにした気分だ。


そこは俺の席だ。なんでみんな知らないやつと盛り上がっているんだ。

アポロとかコーヒービートとか、仲が良かったメンツたちと平然と肩を並べて座っていて、なんだか腹が立ってきた。


食べてみたけど、正直あんまり美味しくなかった。

いかにも人工甘味料のバナナ味。
明治のチョコはおいしいはずなのに、チープなバナナ味がそれを残念な仕上がりにしてしまっている。


ふん、しょせんこんなやつ、
アポロの美味さには叶わないのさ。




気になって調べてみたら、バナナチョコは2005年から発売されていた。
自分が出会ってこなかっただけだったのだ。


でも最近では確実に店頭に置かれる数は減少してきていて、今ではその姿を見ることはなかなか出来ないらしい。明治のお菓子打線の前線を退いて、細々とやっているようだ。

とはいえ2023年においてもこうして製造はされているので、18年間も存続しているお菓子と考えると、これを求めている人は結構いるのではないだろうか。




最近自分で事業計画を進めていて、この世は経済という循環の中で上手く成り立つ仕組みが整わないと、どんなに良いものでもこの世に残り続けることはできないんだ、ということを痛感するようになった。

求める人がいて、生み出す人がいて、それが貨幣経済の中で無理なく回る仕組みが整って、はじめて社会の中で存続できるモノになる。

明治のアポロも、湖池屋のポテトチップスも、LOTTEのガーナチョコも、小さい頃から慣れ親しんだものが大きくなっても存在しているというのは、作り続けてくれるメーカーが倒産せず残り続け、そしてそれを買い続ける顧客がいるからだ。

当たり前のことだけど、なんだか、人の営みを感じて、
がぜんありがたいなぁという気持ちが湧いてきた。

作り続けてくれてありがとう。求め続ける人たちがいてくれてよかった。仕組みを身をもって理解したことで、経済を回し続けた先人たちの偉大さを藪から棒に感じ始めている。


でも同時に、少し悲しい気持ちもある。

貨幣経済という土壌の上で成り立てなければ、それはこの世から消え、忘れ去られてしまうということ…。

どれだけ美味しくても、どれだけ作り手の素敵な想いが詰まったものでも、お金が回る仕組みに合致できなければ存在し続けられないということに、言いようのない無力さを感じる。

貨幣経済は社会活動を動かしていく原動力として非常に合理的なカタチなのかもしれないが、それには合理的な仕組みさえ整えば存続できるという良い面がある一方、その仕組みに迎合できないものは原理的に強制退去させられるという無情な面もある。

お金によって回るこの仕組みは、
この規模の社会を成り立たせるためにはよくできたものなんだろうなと思う一方で、これ以外の選択肢はなかったのだろうかとも思う。


社会人になると誰しもが少なからずビジネス的な思考を持たざるを得ないこの社会って、一種の正解だとは思うけど、なんだか不可逆的で嫌だ。

もし人類より発達した文明がこの宇宙のどこかにいるとして、その文明もまた貨幣経済や市場の原理の中で生きているのだろうか。

高度な社会を存続させていくためのシステムは、他にはどんなのがあるんだろう?宇宙人が地球に来てくれたら、是非とも聞いてみたいことの一つだ。




アポロ星からの使者が来た。

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