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「今日も頑張れる」ために必要なのが、人生の目的。

今回も、読んだ本をヒントに自分の考えを広げてみました。

今回読んだのは『言語化力~言葉にできれば人生は変わる/三浦崇宏著』。雑念だらけでこういった本にはあまり縁がなかったわたしだったが、SNSで気になっていた存在の三浦さんの本ということで迷わず手に取った。

わたしは書くことが好きで、言葉が、とりわけ日本語が大好き。ライターをはじめてから3年半くらいだが、短大で日本語学や創作、日本語教育などを学んでいたこともあり、まとまった文章を書くこと、必要な情報を盛り込むことにさほど苦労はしなかった。

だからこそ、「言語化力」を知りたかった。自分が言語化に苦労していないからこそ、わたしが何をしているのか、解明したかったのだ。端くれながら広告を書いているものとして、やはりテーマは「言葉で人を動かすこと」。常にそれを意識して構成を考えているが、そのロジックが自分の中でかなりふんわりしているというか、感覚というか、小手先のテクニック感があってなんとなくいやだった。実際、読んでみて自分の思考がクリアになっていくのがわかった。頭の中を因数分解していく。無意識にやっているのはこういうことだったのだと、自分の考えに理論が紐づいて、気持ちがよかった。

さて、『言語化力』を読んだからには実践してみたいことがある。

【人生の目的を言葉にせよ】

さっそくやってみることにしよう。

何をしているときが一番楽しいか

キモいことを言うが、わたしはこれはもう紛れもなく「文章を書いているときが一番楽しい」。だからこそ安易に書けなくて、noteの更新がおざなりになっていたりする。完璧主義のくせに横着なところがあるのだ。

それでもやっぱり、文章を書くことが本当に好きなのだ。だから仕事も楽しい。なんとなく筆がすすまないこともある。苦労するときもあるが、少し時間をかけたり、気分転換したり、まわりに助けを求めたり、ほどほどに折り合いをつけたりして絶対に乗り切れる、そういう自信もついた。だから書くことを仕事にできていることには常に感謝をしている。本当にありがたいことだと心から思っている。

成長は「書くこと」とともに

書くことの楽しさに気づいたのはいつだろう? 遡ってみると、はじめて文章を書いたのは小学校での作文だと思う。原稿用紙2枚ですよ、と先生が指示し、大半のクラスメイトは2枚書くことに苦労をする。わたしは本当に苦労せず、記憶力もいいほうだったのであったことをつらつら書き続けるのなら何枚だって書けそうな気がした。かえって先生泣かせだろう。

東京の多摩地区で育ったわたし、自信となったのは小学校2年生のときに多摩の小学校から作品を募った文集に掲載されたことだ。家族で行った潮干狩りを題材に、あさりばかりがとれるなか、蛤を見つけることを楽しんだエピソードを原稿用紙3枚程度に綴った作品だった。大人の求める子どもらしい、無邪気な作文だが、起承転結がしっかりあり、「でした。」「ました。」ばかり終わらない緩急のある文体。今思い返しても、天才かと思う(笑)ただ、恐ろしいことにこの作文、半分くらいは狙って書いていた。はまぐりを見つけたことなんて、実際の潮干狩りのなかでそんなに重要なエピソードじゃなかった。貸し切り電車で木更津へ向かったことや、着替える部屋がなんか汚かったこと、配られたお弁当がおいしかったことのほうがよっぽどワクワクしたのに、父親が言った「これ、はまぐりだよ!」という一言にスポットをあてて、記憶を掘り返して書いた。本当にワクワクした、その他のエピソードは邪魔だから削ぎ落として。弟と競ってなんかないけど、競ってはまぐりを探したように描いた。怖い。小2の自分が怖い。

小4では図書室になかったので司書の先生に直接借りた『五体不満足』(この時点で他者を出し抜く良いストーリー)で読書感想文集に載った。詩集にも載った気がしたけど覚えてない。毎年進級前に作っていた文集では歯が浮くようなきれいごとを書きまくった。天性の盛り癖だ。

長くなったが、小学生の時点で書くことが好きだったって話だ。しかもあざとく書く余裕すらあった。それで中学生のころは文芸部でバキバキ中二病の創作をしたり(死にたい)、高校生(中高一貫だった)にかわいがってもらいながら川越で吟遊したりした。

短大では小説、短歌、俳句の創作やメディア関連の授業をとり、大量のレポートもまったく苦にならず、勉強は楽しかった。諸事情あってなんの変哲もない販売員になったが、時々ショッピングセンターの折込チラシに掲載する商品の紹介を書かせてもらったり、店舗のSNSを担当すると、やっぱりものを書きたいという気持ちが変わっていないことに気づいた。

ライターとして働く

未経験でライターとして採用してくれる会社ってそんなにない。そもそも少ないし、そのうえ怪しげな会社が多い。体力に自信がないので、激務は困るし、実家から通える範囲じゃないときついし、あまりに興味のない分野はいやだ。そんな選り好みをしてダメもとで受けた通販会社(超小さい)に、すんなり内定。ライターとして働くことになった。

ここはいい意味でも悪い意味でもゆるゆるとしていた。実際のライティング業務は期待していたより少なかったけれど、いろんな仕事が経験できて楽しかった。メインで担当していたのは会報誌の制作。実際にお客さま(地方のシニア層が多い)に会い話を聞いて、それを記事にする。取材のアポとりは厳しかったけど、とれれば日本全国を旅できるのは私は好きだった。取材で言葉を引き出して、それをより鮮やかにしていく作業は本当に好きで、わたしが書いた記事に対して「勇気づけられた」と感想がくることもあった。「人の心を動かす」仕事に誇りを持てたし、モチベーションも高かった。

しかし壁にぶつかった。並行して担当していた化粧品の広告制作だ。事実ベースで商品の切り口を探し、買ってもらうための言葉を書く。消費者にお金を使ってもらうための「人の行動を変える」仕事。法律を守ろうとすると事実が書けない。本当のつもりで書いてもクレームが来る。動いた人が会社に直接お金を落とすのだ、しかも疑いながら。嘘じゃなくてもトラブルが起きる。それにわたしは疲弊してしまった。良心だけではつとまらなかった。

わたしの「人生のテーマ」

現在はその仕事を辞め、別の会社で広告を書いているが、そのような葛藤からは解放された。一般消費者からお金をとる立場から身を引くことでこんなにも楽な気持ちで、書くことを愉しむことができるとは。もちろん思うことがないわけではないが、胸を張って「人の行動を変える」仕事をできるようになった。

わたしが本当にしたいことは「人の心を動かす」仕事だ。今回は割愛したが、精神を病みまくって生きてきた。死ぬかと思ったけど生きている。平凡だけど、自分がやりたい仕事をできている。これは奇跡だと思っているし、やっと「生きててよかったな」と思えるようになった。

その結果、「人の行動を変える」ことにつながっていけばいいと思う。死にたかった人に光をみつけてほしい。そういう手伝いがしたい。自分の経験なんてほんの一例にすぎないけれど、わたしが伝えられる言葉のなかに、苦しんでいる人がほしい言葉と共通するものがあるかもしれない。その可能性を信じたい。

今の会社でしている仕事(具体的には言えないが)と共通することなのだが、わたしが実現したいことは「人の未来をより豊かにすること」「心のマイナスをプラスに定義しなおす手伝いをすること」。三浦さんが書いていた、「言葉で人生は変えられる」ということに強く共感した。そして、心が不健康な時はこれが難しいことをわたしは知っている。だからわたしは人生の暗闇にいるひとたちの手助けをして、灯りを一緒に探したい。これを人生の目的として、教養をつけ、近い将来発信していくつもりだ。

自分の経験を生かさなくては、わたしがやる意味はない。責任は重い。怖いけれど、自分の中身を整理する意味でも積極的に『言語化』していく。わたし自身がもう一歩前へ進むために。

「頑張る」なんてべつにどうだっていい。ひとりひとりが持っているものさしが違いすぎることばだ。生きてるだけでじゅうぶん頑張っているし、もっとやれるくせにさぼっていたって生きてる。だから人に「頑張れ」なんて言いたくないんだ。「一緒に頑張ろうね」とは言うけれど。

だけど人生の目的を定めておけば、状況が変わったとしても自分が「頑張れる」。目的がないから、ふわふわとした時間を彷徨ってしまうんだ。「れる」「られる」はジカジュソン(自発・可能・受身・尊敬)。この場合は「自発」「可能」かな。たまには誰かが背中を押してくれるかもしれないけれど、まず自分から頑張れるように


—―“上”ではなく“前”に向かって着実に歩み続ける

これはずっと大好きなバンド「陰陽座」の理念。彼らが共に歩んでくれるから、わたしも今日も頑張れる。やっぱり、言葉ってすごい!!


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