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コロナ自粛中に考えた、発信することの意味

仕事の忙しさを理由に更新が止まっているのを放置し、気づけば最後の投稿から1年が経っているのを知り愕然とした。がーん。

久々に筆(手)をとったのは、簡単にいうと、書きたくなったから。やはり制御されるとやりたくなってしまう、という心理現象が人間にはあるらしい(カリギュラ効果というらしい)。コロナショックで大半の案件が止まってしまったので、溜まっていた本を読んだり、ラジオやpodcastやインスタライブを聴いたりして2ヶ月近くを過ごした。でも、どんなものを見聴きしていても、編集や執筆という自分の仕事の”これから”を、頭のどこかでは考えていた(あ、落語を聴いている時だけは違うな)。

このタイミングで雑誌『OYATTU MAGAZINE(vol.2)』で「家族を見直す」企画を担当したことも大きかった。詳しくは公式サイトにある通りだが、コロショックをきっかけに、今後の家族の暮らしをどう見直すべきか?それについて、様々な観点からのアイデアを紹介している。たとえば、在宅時間が増えた家族の心の行き違いを回避するアイデアだったり、家族全員が居心地の良いのはどんな家?などなど。五輪が延期になり緊急事態宣言が出て……と、社会情勢が刻々と変わるなかでの編集作業は、情報を発信することの責任感や誤った情報を発信してしまうことの恐怖感などが大きく、作業時間は多く取れるわりに精神的にきついものがあったが、これが完成すると全国の書店も好意的で、SNSでも反響が予想以上に大きかったのだ。

で、気づいたのだ。これまで私は「何を発信したいか?」を何度も自問しては「旅やカルチャー」などと言って自分を納得させようとしていたけれど、それは答えになんてなっていなかったことに。

「一人の市民・消費者としての目線をもって発信することで、社会・都市に貢献する」これからは、このことを発信する意味に掲げたいと思う。

もちろん、今後も「○○の取材をしてください」といった企画ありきの仕事もお受けしていく気持ちは変わらない。それらによって、自分の興味の範囲では辿り着かなかった業界や社会構造を知ることができるという利点は大きいのだ。ただ、今回の気づきを忘れないように、ここに記しておこうと思う。

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