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東大を休学して高知の村に移住しました。

初めまして!

鵜飼 唯香(ウカイ ユイカ)といいます。



私は東京大学法学部を休学して、11月末から人口5000人の村、高知県日高村に住んでいます。

自己紹介

改めまして。

鵜飼 唯香(ウカイ ユイカ)といいます。

2000年2月29日 閏日 生まれ。4年に1回しか誕生日が来ないため、実質5歳。
転勤族だったため、特に出身はありません。愛知で生まれましたが、その後は神奈川、上海そして千葉で育ちました。

2018年に東京大学に入学し、今年は法学部の3年生になります。
ですが、秋学期(9月)から休学をし、11月末から高知県日高村に移住しました。

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学生時代は専ら学園祭運営をしてきました。
(5月の五月祭と、11月の駒場祭をよろしくお願いします!)


日高村について

日高村は、高知市から電車で30分西に位置します。成田空港から1時間半、バスで45分、電車で30分、東京から3時間で行けるギリギリの村です。

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人口は5000人で、高齢人口が4割。小学校は3つ、中学校は1つ。小学校のうち1つは山奥にあり、全校生徒が17人(令和2年度)。もちろん、高校も大学もありません。主産業は農業。トマト、特にシュガートマトやフルーツトマトの栽培で有名な村になります。

本記事では、この(辺鄙な)土地に引っ越してきた経緯と理由を書いてい来ます。


日高村との出会い

私は令和2年12月、日高村で地域おこし協力隊として委嘱されました。

そもそも地域おこし協力隊とは何か?移住・交流推進機構(JOIN)の画像を借ります。

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つまりは、都市部の人間が地方に移住し、地域おこし活動を行いながら、任期中(1年以上3年以内)の間に起業をするなどして生計の目処を立て、「慣らし期間」を経て地方への移住を図ります。

上記からわかるように、基本的には定住の意志がある人しか募集していません。しかし、制度設計は総務省でも、運用は各自治体に任されています。そのため、自治体が期限付きで大学生を受け入れるケースは非常に稀だがある、という情報を小耳に挟んでいました。

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自治体選びのアドバイスをもらったり、
現役大学生の協力隊と繋いでもらったりと、
サポートデスクにはとてもお世話になりました。

とりあえず私は「大学生も受けて入れてくれる自治体もある、らしい!」という情報に一縷の希望を見出して何をしたかというと、JOINに掲載されている目ぼしい協力隊募集要項を片っ端から開け自治体での活動内容や連絡先、メリット・デメリットなどをエクセルにまとめ、一つずつ電話を掛けていきました。


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私「地域おこし協力隊志望の者です。あの、私今大学3年生で休学をしていて、1年だけ受け入れてくれる自治体を探していまして.......」

自治体「定住の意志がないとちょっと難しくて……」

エクセルの行を赤く塗り潰す。

私「地域おこし協力隊志望です。私は東京大学の3年生で休学をしていて、1年だけ受け入れてくれるところを探しています.......」
自治体「大学生?それはちょっとわからないなぁ、、、聞いてみますね。」

エクセルの行を黄色く塗り潰す。

私「地域おこし協力隊志望です。今東京大学の3年生で休学をしています。1年だけ受け入れてもらうことって可能でしょうか?」

日高村「ちょっと今担当者外していますので、折り返しお電話してもいいですか?」

私「はい!」

ピッ。

ため息をついて行を黄色く塗りつぶす。

どうせだめでしょ〜。

……。
チャンチャララン。ピッ。

日高村「あー日高村役場 企画課 地域おこし協力隊担当のヤスオカって言います〜」

私「こんにちは!私今東京大学の3年生で、地域おこし協力隊志望です。1年だけ受け入れてもらえるところを探しているんですが……」

ヤスオカさん「ん、ええがやない〜?」

私「……え……?」


戸惑いながらも、エクセルの行を塗りを緑に変えた。
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これが、9月。
エクセルを見返してみると、計29自治体にTEL掛けをしていました。ほとんどが赤く塗りつぶされ、あとはパラパラと黄色い行が散見されます。

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自治体の候補を並べたExcelファイル

GOサインを出してくれたのはたったの3つ。

その中でも日高村は行政側が非常に柔軟に対応してくださり、ZOOM mtgや村への事前訪問を経て、日高村のことがとても好きになりました。

そしてめでたく選考に合格し、12月から採用されることとなったのです。


私が日高村に移住した決め手は、人。

私は10月の頭に、事前訪問ということで1週間日高村を訪れました。

そのときは役場の担当者様・副担当者様に大変お世話になり、現役地域おこし協力隊員や事業者回りに連れて行ってもらいました。

以下、そのときに会った、日高村の生き生きとしている人たちを、ほんの一部になってしまいますが、ご紹介します。


・村内唯一の宿泊施設「Eat&Stay Tomatoto」を立ち上げ、現在は地域商社の立ち上げに奮闘している小野さん。

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・「できる人が、できる時間に、できることを」を理念に、村のお母ちゃんたちが運営するNPO法人、わのわ会。福祉、食堂、製造販売に加え、地域連携するその他様々な活動を展開中。事務局長の安岡千春さんと、関わっているお母様方。

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...もっと、もっと、います。

今回は経歴がわかりやすい方を並べてしまいましたが、何より私にとって印象的だったのは、一人一人がすごく生き生きとしていること。

冗談抜きで、日高の皆様は肌艶が良い。

ワクワクしていて、やりたいこと、好きなことに邁進していました。

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東京にだって素敵な人はたくさんいるだろうけど、喧騒に揉まれ、潰され、埋もれてしまい、巡り逢い難いのが現状だと思います。

もちろん田舎にだって不便なところも、明るくないこともあります。東京のように毎週目新しいイベントがあるわけではないし、電車は1時間に1本しか来ないし、人口がどんどん流出していることも変わりません。

でも、日高村には、自分の人生を生きている人たちがたくさんいました。

そんな人たちに惹かれて、私はこの地に来ることを決断しました。


最後に

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日高村には素敵な人が多いです。そして、類は友を呼ぶ。
素敵な人がいる日高村には、素敵な人が来ます。

これからは、日高村で起きたこと、私が村で経験したこと、日高村の素敵な人、村に来てくれた素敵な人について書いていければ、と思っています。そして、そのうち「私がしていること、したいこと」も発信できて行けたら、と考えています。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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これからも皆様何卒よろしくお願いします☺️

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