『パラサイト 半地下の家族』の感想
久々の映画のはなしnoteです。
日本公開から一ヶ月以上経ったので、ネタバレをどんどんしながら感想を述べていきます。
「まだ観ていなくてネタバレは絶対に嫌!!!!」な人はどうか読まないでください。賢い読者のみんなたちなら、自分で判断できると信じています。
パラサイトは日本でもとても話題になっているので、インターネットを検索すれば素晴らしい解説サイトや解釈・批評が溢れているから、これから書くのは本当にとても個人的な感想です。面白さは保証していません。
私の人生ベストフィルムかもしれない…!
予告動画をyoutubeで見てから「絶対に見たい!」と思っていたパラサイト。上映時間132分があっという間で、一瞬たりとも気の抜けない映画体験だった。
まるで真っ暗闇のジェットコースターに乗っているかのようなハラハラドキドキ感。興奮。
貧困の話を描いている、社会批判的テーマだ、という内容は観る前からなんとなく知ってはいたけれど鑑賞中はそんな難しいことを考える暇もないくらい最高のエンターテイメントでした。
エンドロールで呼吸を整え、劇場が明るくなると、げっそりした気分になっていた。落ち着いてくると、急に襲ってきた倦怠感とやるせなさ。
描かれているものの重さについて考えざるを得ない。ずっしりとした居心地の悪さ。
上映終了時刻がお昼時だったから、観る前はなにか食べて帰ろうと思っていたのに、観終わったら1,000円以上するランチに胸がじりじりして、真っ直ぐ帰宅しました。そして卵かけご飯を食べた。
いや、今日そこで私が卵かけご飯を食べたところで世の中は何も変わらないし、自分の偽善への気休めでしかないのだけど。それでも。
と、まあ観終わった直後はこんな気持ちでした。いよいよ内容に言及しつつ感想を書きなぐっていくので、ネタバレ厳禁な性癖の人はこれ以上はどうか読み進めないでください。
脚本が気持ちいい
脚本がすごい、なんて私が言ったところで何様ですが。とにかく伏線の張り巡らせ方から小物のチョイスから回収の仕方まで全部サイコー。
好きな台詞(伏線編)
◆ギウ(半地下の長男)が初めて高台の家へ家庭教師として訪れ、正式採用が決まった時にヨンギョ(金持ち一家の奥さん)が家政婦さん(ムングァン)のことを
『私よりこの家の隅々までよく知ってるの~』
⇒地下の豪への伏線!?(2回目鑑賞時に気付いた)
◆半地下の家の前で酔っ払いが立ち小便をする時にギウとギテク(半地下のお父さん、みんな大好きソンガンホ!)が水を豪快に掛けスローモーションになるシーンでのギジョン(半地下の妹)の
『(スマホで動画を撮りながら)アハハ~大洪水だ~』
⇒後の大雨による洪水被害への伏線!?(洪水を笑うものは洪水に泣く)
好きな台詞(ただ好きなだけ)
◆ギジョンが作ったギウの偽造大学入学証?を見た時のギテクのセリフ
『ソウル大学に文書偽造学科はないのか?そこだったらギジョンは主席だな(真顔でしみじみ)』
⇒感心しながら真顔で面白いこと言わないで~文書偽造学科のセンス良すぎるでしょ……お父さん…となった
◆金持ち一家がキャンプ中に、キム一家がリビングで酒盛りをするシーンでギテクがチュンスク(半地下のお母さん)に言ったあとのチュンスクが返す言葉
ギテク『奥さん(ヨンギョ)は金持ちなのに純粋で優しい人だよな~』
チュンスク『違う、金持ちなのにじゃなくて金持ちだから心に余裕があるのさ。私だってお金があればもっと優しいわ!』
⇒経済的貧富の差から生み出されるものに精神的貧富の差があるという痛い批判
⇒必ずしも経済的豊かさと心の豊かさが一致する訳ではないけれど、経済的不安を抱えていないという点においてそこから生まれる心理的負担は生じにくいと考えられる
◆リビングの酒盛りシーンで、ギテクが自分が追い出した若い運転手のことを心配するのを聞いて酔っ払いギジョンが怒る
『なんであんな人の事を心配するわけ?私やお兄ちゃん、もっと私たち(家族)のことを心配してよ!!!!』
⇒それまでずっとクールで賢く、ミステリアスな凛とした姿しか見えていなかったギジョンの末っ子らしい、親からの愛情を素直に求めているところにグッときた
好きなシーン(メタ?視点編)
◆金持ち一家がキャンプに出掛けている時の半地下家族の過ごし方
・ギウ、ギテク、チュンスク=1階(ギウは2階のダヘのベッドにも行くが)ギジョン=2階(お風呂)
・リビングで酒盛り中の家族の位置関係
画面左から、ギウ(床)・ギジョン(ソファの上)・ギテク(床)・チュンスク(床)
⇒後に死ぬギジョンだけ他の半地下の家族より垂直的に高い位置で過ごし、ギジョンだけが家族の中で立ち位置(座り位置)がほんの少しだけ高い
⇒ギウが言ったようにギジョンは金持ちの家に馴染んでいる、立ち振る舞いが自然。それはギジョンだけ唯一半地下から抜け出せる人間だったのではないかという示唆(だと私は思った)
⇒半地下の家族の中でギジョンは他の人を追い出さず、自分で仕事のポジションをゲットしている(兄のアシストがあったからだけれど)
⇒ギジョンだけが死ななければならなかったのは、唯一、半地下から抜け出せる人間があっけなく死んでしまうという皮肉(ポンジュノの何かのインタビュー)
◆大雨・洪水の時の映像の呼応関係(切り替え)
・高台の家の地下で、前・家政婦(ムングァン)がトイレに向かって吐くところと、半地下の家のトイレが逆流しているところ
・高台の家の地下で、前・家政婦(ムングァン)の夫が額から血をダラダラ流しながらモールス信号で廊下の電球をチカチカさせるところと、半地下の家の電球がショートしてチカチカ点滅しているところ
・大雨の翌日、ダソン(金持ち一家の弟)の誕生日パーティーをするためヨンギョが超特大ウォークインクローゼットで洋服を選ぶところと、避難先で床にぐちゃぐちゃ積まれた支援物資の中から洋服を選ぶ半地下ファミリー
⇒この一連の対比が映像で表現されているの本当に秀逸……
私はモールス信号が分からないので、半地下の電球チカチカがモールス信号になっているかは分かりません。。
好きなシーン(ただ好きなだけ)
◆ムングァンが庭で眠ってしまったヨンギョを起こす時に一歩踏み込んで、パチンと手を叩くところ
⇒主従関係の境界線に一瞬踏み込むような緊張感が良かった。なによりさっきまで熟睡していたのに、何事もなかったかのように起き上がったヨンギョさんの振る舞いがキュート
◆ギテクが初めて社長の車を運転する時に社長が「テスト走行じゃないから気楽にどうぞ~」と言いながら並々と入ったコーヒーカップを映したところ
⇒社長はヨンギョに比べると台詞の数も多くないけど、あのカップのアップを見た瞬間に私は分かりました。社長が超・神経質で気難しく、自分本位なタイプの人間だってこと。
⇒そしてやはりカーブで、コーヒーカップの表面の揺れ(こぼれないか)を確認するいやらしさ
役者さんたちの演技が圧巻
SAGアワードという全米映画俳優組合によって主催される、キャスト賞(アンサンブル・キャスト賞)を2020年受賞したパラサイト俳優陣。
外国語映画では初の受賞らしい。同じ役者という職業の人たちから評価されているくらい本当に素晴らしい演技だった。
これから、ただただ私が好きなお芝居の場面を箇条書きします。
◆近所の個人商店の桃を片手にサッと取り、ふっと息を吹きかける時のギジョンの横顔
⇒残酷で卑劣な行為を行う前とは思えぬほど柔らかで暖かな光の当たり方が、これから行われる行為の残虐さをより美しく、引き立てる
◆大雨の中やってきたムングァンのインターホン越しのもう絶対何かあるじゃん!な笑顔
⇒ここで金持ち家族が帰ってくる展開なんでしょ……とドキドキしながら待っていたら、まさかの怖いくらい満面の笑みの前・家政婦さん!あの笑顔から一気に不穏さと得体の知れない恐怖が加速した
⇒映画の画面越しかつインターホンの画面越しと、二重の厚みがあるにも関わらず、ひょいと超えて我々に恐怖を与えたよねあっぱれ
◆ヨンギョとダヘ(金持ち一家の姉)がひたすらに美しい
⇒特にヨンギョがソンギュン(金持ち一家のお父さん、社長)から「あの運転手コカインやってるかも」と耳打ちされた時のヒッて顔が最高でした。汚いパンツを触るためにつけたビニール手袋で思わず口覆ってしまいそうなところも良かった……いや、それ不潔!とツッコミ不可避
⇒出てくるキャラクターの中でヨンギョが一番表情豊かで、親しみがわいた
◆ダソンの誕生日パーティーに集まった人たちを二階のダヘの部屋から眺めている時のギウの横顔
⇒大雨で高台から半地下の家へ帰る途中からずっとギウの表情演技は好きだったのですが、(体育館で石が離れないんです僕が責任を取りますの時の顔とか)特にあの場面で、地下の人間へケリをつけにいく最後の気持ちの整理を顔から感じたから。
⇒ダヘはむろん何も知らないので、ギウの突拍子もない質問の意図が分からないし、もちろん彼が望むような答えを述べることも出来ず、そのまま地下へと向かっていくのが辛かった……
ソンガンホさんの顔演技、最高金賞
◆大雨でキャンプを中止し帰って来た金持ち一家夫妻がソファでギテクのニオイについて話す時のソンガンホさん
⇒一度、ダソンにニオイを指摘されてからニオイについては二度目の言及シーン。隠れている机の下でも気になって首元のニオイを嗅ぐ時の自分ではさっぱり分からないという切なそうな不思議そうな表情
◆洪水の翌日、ヨンギョの買い物に振り回され、帰りの車で窓を開けられた時のソンガンホさん
⇒ワインの箱を持っている時の無表情……スーパーで買い物カートを押している時の無表情……呑気に電話で話すヨンギョと対照的に乱雑に買ったものを袋詰めする背中……ダメ押しの窓を開けられた時の殺伐とした無表情……
人間の感情が無になる瞬間、心が死んだ時の顔を見せ続けられる不安……すごいよ…ソンガンホさん……あんた天才だよ……
◆社長にインディアンの恰好をさせられ、「奥さんを愛してますよね?」と尋ねたことに釘を刺された時のソンガンホさん
⇒それでもなお、金持ち一家と自分たちの間に何か繋がりを見出そう、優しい人たちだと思っていたいギテクの心が敗れた瞬間の表情だったのでは
◆地下の男にギジョンを刺され、放心状態の中、社長に車のキーを渡すように怒鳴られなんとかキーを投げるも、チュンスクが串刺しにした地下の男の下に鍵が下敷きになり、それを退ける時に社長が鼻を摘まんだ瞬間のソンガンホさん
⇒一瞬で表情が変わった。混乱困惑動揺から得体の知れない憎悪殺意へと。本当にパッと切り替わったのだ。憎悪も殺意という言葉も語弊があるかもしれない。とにかく社長の【下位の者が纏う貧困のニオイへの嫌悪に対する行動】を引き金に、ギテクは正気でなくなった。アップで画面一杯にギテクの顔が写し出される構図も大変素晴らしかった。(社長を刺し、我に返った時の表情までセットで完璧でしたスタンディングオベーション)
映画タイトルの文字装飾の意図
パラサイトは原題:기생충(寄生虫)なんですが、それぞれのハングル文字の一部がくるくる螺旋階段のように渦を巻いていて。
日本語ポスターを目にしていた時は全く気付かなかったのですが、映画の冒頭で韓国語の原題が出てきた時に目を引かれたのね。で、観終わってから日本語もパラサイトのパの半濁音が渦を巻いていることに気付いて。
これはなにかしら意図があると勝手に考えました。1回目に鑑賞後(一月半ば)に色々なネタバレ批評解釈サイトを読み耽った時にはこのタイトル文字の装飾に言及している人はひとりしかいなかった。(今は知らん)
ポンジュノ監督は何かのインタビューで金持ちは金持ちのままだし、半地下は半地下のまま、格差はそう簡単には埋まらないというような内容を言っていたようなのですが、私的にはこの螺旋階段は格差の垂直的関係を象徴しているのと同時に金持ちも貧乏人も同じ穴のムジナを意味しているのではないかと。
長い螺旋階段って昇降している時、たまに自分が登っているのか下っているのか分からなくなりません?
一度立ち止まって上を見たら、下を覗き込んでいるような気がしたり、逆に下を覗いたら上を見上げているような感覚になったり。
(サグラダファミリアの螺旋階段がこんな感覚になった)(まぁあれはアンモナイトから着想を得て設計されたらしいのだけど)
何が言いたいかというと、貧富の差は螺旋階段のように垂直的に途方もないものであると同時に高いところも低いところも際限がなく、その階段を上るも下るも、人間は同じ。登っていたはずの人が急に下ってしまうこともあれば、下っていたはずの人が登り始めることも出来るよ、と。
高台の一家はお父さんがITビジネスで成功しているから現時点では富める者だけれど、もし半地下の家族や地下の家族のようにビジネスに失敗したら?高台の一家が没落する可能性は十分にある。
半地下の家族も地下の家族もともに、一家の稼ぎ頭が台湾カステラの事業で失敗していて。闇金に手を出したか出していないかという些細な違いで、半地下でギリギリ日の光を感じられる生活か、地下で外の光を感じることのできない生活かに運命が分かれている。
貧富の差は本人の能力や実力以上に、運やタイミング、社会情勢など複合的なものによって半ば仕方なしに生まれてしまうものでもあるということ。
たとえいくら私がいわゆる良い大学を出て、良い会社に勤めて、良いお給料をもらって、良い家に住み、良い暮らしをすることが出来たとしても、都内の一等地に土地を代々所有し、華族や士族にルーツがあるような家柄にはなれないわけよ。
そこには越えられない途方もない壁がある。それをイコール貧富の差と結びつけるのは乱暴かもしれないけれど、とにかく努力や能力で変えられるものと変えられないものがある。その事実は変わらない。
それでも人間は生きていくのに食べて、飲んで、排泄して。子孫を残すために生殖行為を行う。長所もあれば、短所もある。誰かを憎んだり、愛したりする。お金があってもなくても。
そういう意味ではやはり高台の一家も半地下の家族も地下の家族も同じ人間としての業を背負っているんだ、という意味でタイトルの文字装飾を行ったのではないかと。どうでしょう?
ちなみに友達に話したら、その解釈面白いね、自分は蚊取り線香みたいだなぁ~と思ってた!と言われたので、今は蚊取り線香に見えて仕方ありません。助けて。
(今ふと思い付いたのだけど、もしや半地下の家の便所コオロギを退治するための蚊取り線香メタファー?!?!?!?!?)(なんて)
2回鑑賞後も残る疑問と謎
パラサイトは本当に無駄なところが見当たらない完璧な脚本、カメラワーク、音響、美術だと思うのですが、それでも何点か個人的に気になった・モヤっとした点をまとめました。どなたかぜひ語り合いましょう。
・ギジョンはどうやってダソンからの信頼を勝ち取ったのか
⇒母親も父親も子供とスキンシップを取っている(触れている)描写がないことから無意識的に愛情に飢えていたダソンへ母性を与えたからではないかと思うのだけれど、具体的な描写がないので分からない
⇒そこを描くと映画の描写として蛇足になるからかもしれないけれど、すごく気になる
⇒ダソンが懐いていたムングァンは抱っこしている、ギジョンも膝の上に乗せ手からクレヨンを取らせている描写はアリ
・ギウはなぜ寒い雪の日に高台の家が見渡せる山に登ったのか
⇒父親への手紙に返信する語り口のシーンで唐突に出てきたように感じる「高台の家を覗ける山」
⇒それまでの物語の中で山って出てきた?私が見落としているだけ?他の伏線が完璧だからこそ突然の山の違和感がすごかった。プロットとしてはそうしないとお話が進まないから仕方ないと思うのだけど……唐突さに、ん?と少し戸惑ってしまった
・ギテクが社長に2度も「奥様を愛していますよね?」と確認した意味
⇒2回も同じ台詞が出てくるからきっと何か重要な意味があるのだと(勝手に)思っているのだけど、分からない……
⇒金持ちではない自分は何もかも社長に劣っているけれど、唯一、愛という点では上にいることを確かめたかったから?
⇒ギテクとチュンスクが高台の家で、ちょっといちゃつく描写や、子供の前で悪ふざけで夫婦喧嘩のフリをしたり、洪水の中でギテクが一番に救出したのがチュンスクのメダル
⇒一方、ヨンギョと社長のセクシャルなシーンはあるものの、社長は家のことをヨンギョに任せきりだり、子供のことにも表面的にしか関心がないように思える(ただおもちゃを与えたり、ヨンギョのダソンに対する心配も気にすることないと言うだけなど)
⇒さらに地下の家族と金持ち一家を比較した時に、地下の家族もセックスの痕跡(串刺しになったコンドームの袋)があり、愛の営みを示している
⇒借金取りに追われ顔ボコボコに殴られても、夫をケアし心配するムングァンの行動は愛
ブラックジョークを通した侵略する者とされる者への批判
ギジョンの竹島(独島)の替え歌とムングァンの親北ギャグ、アメリカナイズされたヨンギョ。
ポンジュノ監督は他の作品でもアメリカ批判的な描写をよく描いているらしいのですが、このパラサイトではアメリカナイズされたものを無批判にただ受け容れる、young&simpleと形容されたヨンギョの姿を通じ、私たちが自分の頭では何も考えないでず与えられたものを享受していることに警鐘を鳴らしているのではないかと。
あとは、ダソンがハマっているインディアン。文化の盗用が適当な言葉かは分からないがネイティブアメリカン=侵略される者、を何も考えずに消費している=侵略する者。
また韓国と領土問題や政治的問題を抱えている日本と北朝鮮への言及。
ギジョンがジェシカというキャラクターになる時に口ずさむ歌が竹島(独島)の替え歌であることに、日本人として立ち止まって考えなければならないことがあるのではないか?と思った。
私は国際司法での裁判に韓国が応じないところから、竹島は日本の領土だろうと考えているけれど、韓国の人からしたら自国の領土が侵略されていると感じているのかもしれない。
また、朝鮮半島の南北問題も依然として横たわっている。韓国の人にとって北朝鮮は侵略された土地としての認識なのかは勉強不足で分からないが。
どちらも印象的でユーモアに満ちているからこそ、当事者としては笑って済ませるだけで良いのだろうかと不安になる。
だからといって私は政治的強い主張があるわけじゃないのだけど。
みんなが純粋にジョークとして笑っていることにほんの少しの怖さも感じた。
おわりに:舞台挨拶で印象的だったこと
先日パラサイト、アカデミー賞おめでとう大ヒットおめでとう的な舞台挨拶付き上映に行って来ました。人生初の舞台挨拶でした。
舞台挨拶の前日にポンジュノ監督とソンガンホさんが外国人記者クラブで話していたような内容を舞台挨拶のインタビューでも話していたのですが、パラサイトの数々の賞レースでの受賞や、興行収入・観客動員数という数字的ヒットよりも、実際に観客に作品が受け容れられ、言語や文化・慣習の違い越え、作品が愛されていることの価値を何よりも重んじているのがとても印象的だった。
多くの観客に愛される優れた作品であるからこその数多の受賞や、数字的大ヒットなのだろうけれど、たとえその後者がついてこずとも、監督も演者も作品が様々な人に楽しんでもらえているという実感が一番嬉しいと心から思っているようだった。
素晴らしい作品の社会的スケールによる評価よりも、個人個人の作品に対する評価を重んじられるのは巨匠だからこそなのかもしれない。
またソンガンホさんが話していたこれは【共生】の物語です、という言葉もとても象徴的だった。
寄生、とは共生の一種であるが、共生と異なるのは一方が利益を受け、他方が害を受けている生活形態であること。映画パラサイトでは寄生を描いているのだが、寄生のままではいけない、そこから人々は共生を目指す必要があるのではないかというメッセージを、ソンガンホさんの共生という言葉から感じた。
社会的貧困は韓国や日本に限らない。カンヌで『万引き家族』や『わたしは、ダニエル・ブレイク』がパルムドールを受賞したように貧困問題は国際的な問題として現実にある。
エンタメとして貧困問題を扱った作品を映画館で観るような人間は、どちらかと言えば半地下や地下の家族より、高台の家族に属すると思う。もちろんそれを制作する人間たちも。だからといって作り手を欺瞞だ!と批判するだけに甘んじるのは馬鹿げている。
私が卵かけご飯を食べたところで何も変わらないけれど、ビックイシューを一冊買えば、世界はその一冊分だけ、少しだけ変わる。はず。
おまけ
私が観た舞台挨拶の回にスペシャルゲストで草彅剛さんが来ていたのだけど、ポンジュノ監督とソンガンホさんの大ファンらしく、口調がめちゃめちゃ興奮したオタクで微笑ましかった。監督たちは国際的な賞の場にたくさん出ているので自分たちが話した後の通訳の間もバッチリ。だけれど、草彅さんは興奮したオタクなので韓国語と日本語ごちゃまぜで、しかも本人は韓国語のリスニングが出来るので、矢継ぎ早に質問していたのがとても良かったです。
サポート…!本当にありがとうございます! うれしいです。心から。