蕎麦を人間関係に例えてみる
あっというまに体重が増えていくお年頃に突入した。
特に今年に入って、人生で初めて見る数値を更新し続け、さらに四捨五入の向こう側にいきかねない予感まで感じる。まずい、まずすぎるよ。
というわけで、気分が乗った時にしか使わなかったfitbitを常時装着し、カロミルをダウンロードして運動と食事のカロリー計算しながらダイエットに励んでいる。
知識も吸収!とダイエット系YouTubeを見まくっていたところ
「蕎麦は細長いプロテインバー」
という言葉にであった。
蕎麦は健康によさそう、とは思っていたけれど、プロテインバーと呼べるほどの推し食材なんだね。
みなさんご存じかとは思うのだけど、蕎麦は脂質が非常に少なく高タンパク、食物繊維も豊富でさらに必須アミノ酸の数値が高く、GI値が低いので筋トレやダイエットに非常に適した食材だそうだ。
ほお、あの色も、存在も控えめな細長い麺が、そんな魅力的な食材なのね~。ふむふむ。
と、蕎麦の記事を読みすすめていくうちに、蕎麦って人に例えたらお坊さんみたいだなあ、実際お寺の周りって蕎麦屋さん多いしなあ。
なんて空想モードに突入してしまった。
広がり続けた空想の終わりに、
「人間関係も蕎麦ぐらいの塩梅がちょうどいいのかも」
というひらめきにたどり着いたので書き綴ってみようと思う。
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年齢と様々な経験を重ねるにつれて人は変化していく。
当然ながら、人間関係も変わっていく。
若いころのGI値とカロリー高めの濃い想い出や、新しい人と出会っていく楽しさは決して色褪せることはない。
だけど、やがてそれぞれがそれぞれの場所を見つけ暮らしの拠点を持つようになる。いつしかSNS上のお付き合いに変わり、緩やかなフェードアウトの道を進んでいく。お互い変化しているうえに、物理的距離、離れている時間も長いので、関係が薄くなるのは仕方ないことだ。
それは、遠くからお互いの幸せと健康を願うような、いつかもう一度会えたらその時はよろしく。という余白を残した素敵なフェードアウトで、決して悪いことではないと思っている。
比べて「蕎麦的な人間関係」とは、顔と顔を直接合わせる日常の中に存在すし、地味だけど長く続いているような関係だ。
プライベートを打ち明けあうような仲でも、こまめに連絡を取り合うわけではない。だけど、その人の人となりを知っていて、どこかお互い魅かれる部分があり、会えば近況報告しあうような人間関係。カロリーが高い付き合いではないけれど「この人に会えてよかったな、いてくれてよかったな」と思えるような人。
私の例で言うと、ご近所のママ友さんや、長年お世話になっているヨガの先生、家庭医(家庭医とは家族全員含めて長ーいおつきあいになる)、信頼できるセラピストさんたち、長く細くつながってくれている友人。
そんな人たちのことを思い浮かべる。
このタイプの繋がりは地味で、それこそ蕎麦のように、あっさりして、華やかさや盛り上がりにも欠ける。
けれど、会うと気持ちが明るくなり、長い時間をかけて育まれたお互いに対する穏やかな信頼と、必要以上に踏み込まない間柄がどこか心地よい。
また、蕎麦にはストレスを軽減するといわれるアミノ酸が多く含まれているそうだけれど、まさにそういう人が近所にいることで安心し、穏やかな気持ちになれる。
「食べたあ!」という満足感も多くないし、みんなでワイワイ集まって楽しむような食べ物ではないけれど、穏やかにしっかりと満たしてくれる。
そんな、蕎麦のような人間関係。
最近はそういう関係に救われているな、と思うようになってきた。
目の前の日常を生きる中で、私の心のセーフティネットになっている。
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ああ、いけない、心を満たすのは大事だけれど、ダイエットダイエット。
ということで、歩数かせぎに犬の散歩にいってきます!
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