看取るということ(愛猫の看取りについて)
終末期を迎えた愛猫に何かできることはないかと、いろいろな飼い主さんとペットとの別れをインターネットを通して見させていただいています。
その中で、
「最期は私の腕の中で眠るように旅立ちました」
「起きるまで待っていてくれて、旅立ちました」
「最期を看取ることができてよかったです」
という言葉を沢山目にします。
その言葉を見ると、私はすぐに
「猫 看取り 仕事」
と検索します。
でも、びっくりするくらい、情報が出てこない。みんなが一番悩んで話を聞きたいところだと思うのに、情報が少ない。
しっかりと最期を看取ることが良いこと。
逆に、最期を看取ることができないのが悪だというように…。きっと、看取れないことを後ろめたく感じてしまうから、情報が少ないということが推測できます。
そして、仕事をしながら看取ることの難しさを痛感します。
でもそんな中、人の看取りのことを調べていて、こんな言葉がありました。
「最期を看取ることを目標にしていませんか?」
うん、その通りです。やっぱり、最期旅立つときは側にいたい。
でも、その記事には、最期を看取ることがその人にとって幸せなことなのか?と続いていました。それよりも、最期を迎えるまでの過程に、どれだけその人と過ごせるかの方が大事です、と。
私も性格上、職種上仕事がなかなか休めないので、この言葉にはホッとしました。
やはり、命を看取ることに動物も人間もないんだな。
動物の看取りより、人の看取りの方がはるかに進んでいます。人の看取りを調べた方が欲しい情報が見つかります。
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