いちばん初めの悪はなんだったのか

3人いる姪っ子(正確には私と姉妹のように育った従姉妹たちの娘)のうち1人だけ私の父を忌避する。まだ1歳なので、生理的なものだと思う。
それを父が「来年からお年玉知らねえぞ! お前はダメだな」とか言っていたので「ダメなわけでないでしょ!!」とキレてしまった。父親のこういうところが本当に嫌いだったし、いまだにそれを注意しない周囲にも軽蔑がある。その筆頭に母がいる。

30代になって、父ではなくて母のことを考える時間が増えた。
母は私を23歳で産んで、右も左もわからないまま旧家で義父母同居&介護(義父母の病死によって3年ほどで終わったが)、父からは働くことを禁じられ長年モラハラを受けていた。逃げることができなかった。可哀想な人だと思いつつ、でも自分で選んだんでしょという気持ちもあったのだけど、後者の気持ちが年々強くなってきた。

この仕事をしていると、強くてたくましい女性とたくさん出会う。シングルの人に出会うことも多い。資格や頼れる実家があるならまだしも、身ひとつでとにかく子どもたちをなんとか育てた、みたいな人もいる。
母にもそこまでがんばってほしかったとまでは思わないし、母親だけがモラハラから逃れるためにがんばるのはナンセンスで、国はモラハラ男を捕まえて金銭を取れるようにもっと法律とかどうにかして! と思うんだけど、でも母は結局「自分がいちからがんばって子どもたちを食べさせていく」という選択と「子どもたちにもとにかく耐えてもらって豊かな生活だけは確保する」という選択だったら後者の方がマシだと判断したのは事実だ。
その判断は完全に母の主観によるもので、経済的な負担と心理的な負担のどちらが子どもにとってマシかを考えたときに、心理的な負担の方がマシってのを選択してしまったのは、なんというか知的ではない人だな〜という感覚がある。
経済的な不自由に対してどんな支援があるのか、自分が子どもを守るためになにができるのか、母はちゃんと調べたことがあったのだろうか。

まぁないんだろうな〜。なぜなら自分の頭で考えるのが面倒くさいから。だから高圧的で支配的な男に惹かれるのです。自分で考えることができる人だったらこうなってないんだよな。

この、「自分の頭で考えられない」はもって生まれた脳みそなのか、時代によるものなのか、育った環境によるものなのかはわからない。母自身にはどうしようもないものだったのかもしれない。
でも、いろいろな選択肢があるなかで、「子どもがたまにモラハラ夫の標的になるが、我慢してもらう。あるいは標的にならないよう子ども自身に工夫してもらう」という選択をしてしまったのは結構母親として致命的だし、愚かだな、怠慢だなぁと感じるようになったのです。私は子どもを育てていないので的はずれだと言われたらそれまでだが。

最近は帰省すると、父親のみならずそういうわけで母親にも注意してしまうことが増えて、もうお互いいい気分になれないし「家族だから」って思考停止で会ったりするのやめようよと思うのだけど、思考停止してる人に言っても理解してもらえないし、私は父親の死に際に罵詈雑言を浴びせるのは簡単にできても母親にはそれなりに幸せに死んでいって欲しいな〜と思うくらいには母親を大事に思っているので、思考停止に付き合っていくしかない。
もちろん母にはいいところや賢いところもたくさんある。思考停止って言うとネガティブだけど要するに柔軟でもあって、人の話を聞くことができるのだ(それを噛み砕くことができない)。でも、年取ると親のココがダメ! がとにかくどんどん目についてくるんですね。そしてこちらも容赦なくなってしまうんですね。

余談だが、今年の親戚の集まりに母がラザニアを焼いた。
実はラザニアは去年もつくったのだが、「この麺はゆでなくていいやつ」とかっつってラザニア麺をいちばん上にして焼いたらバリバリになったのだ。当たり前すぎる。
今年は反省を生かして麺をソースのなかに埋め込んでいたのだが、今度はオーブンの温度と時間が足りなかった(ので、慌ててやり直してもらった)。なぜ温めながらソースを沸騰させることで麺をゆでるという原理がわかってないんだろう? 答えは、「麺をゆでる必要がない」という情報を噛み砕いていないからです。
リベンジするくらいの意気込みがあるなら麺の箱に書いてある焼き時間とか見てほしい。そして見たらバリラでした。普通にゆでてほしい。

「不安なときはレシピどおりにやる、これが結局失敗しないんだよ」と言ったら、「それが面倒くさいんだよねぇ」と笑っていた。この面倒くさがりがこの人の最大の欠点であり、細かいこと考えずに今でも夫と一緒にいるための最強のスキルなんだろう。あなたの人生には役立っているみたいでよかったですね、という呆れの気持ちが強まった帰省でした。
おしまい。

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