セブンティーンアイスを見かけた今日この頃
青が住んでいた
梅雨になり馬鹿みたいな太陽と蒸し暑さが行き来する中、ふと、駅にセブンティーンアイスを見つけた。
セブンティーンアイスは100円台の種類豊富な棒アイスが魅力で、自動販売機で売っていることもあり非常に親しみが深いアイスである。
学生の頃、この自動販売機がグラウンド前の壁沿いに置かれていた事を思い出した。
コンビニに行ってアイスを買うのは現実的ではなかった。すぐ近くにあるけれど、休み時間に外へ出るのはあまり褒められたものじゃなかったからだ。
それでも暑くなるとアイスが食べたくなる。セブンティーンアイスの自動販売機は、そんな高校生諸君の気持ちを汲み取るがごとく存在していた。
端的に言おう。私がアイスが苦手だった。
寒がりですぐお腹を壊す体質であったのも理由の一つとして挙げられるが、アイスを食べるのが非常に遅かったからである。
食べるのが速くなったのはある程度大人になってからだと思う。それまで食事のスピードは割とゆっくりだった。特に自宅以外だと、隣にダイソンの掃除機レベルで食事を消し去るやつがいなかったから、安心していたのだろう。
アイスは昔から溶かしまくっていた。
コーン付きのアイスを何度溶かしたか分からず、ガリガリ君なんて自宅以外で食べれた物じゃない。棒アイスは地獄を見る。そんなレベルの遅さだった。
詰まる所、口の中が冷たさに対応していなかったのだ。
そんなこんなで得意ではなかったアイスだが、高校生の頃、体育終わりに何度もセブンティーンアイスを食べた事を不意に思い出す。
壁が反射し薄水色に色づいて、自動販売機の前友人たちと何にするか話し合う。
私はいつもソーダフロートを押す。水色と白の渦巻きが特徴的な棒アイスだ。回りはチョコレート、ベリー、マンゴー、女の子らしいチョイスをし続ける中、一貫してソーダフロートを押し続けるのは最早執念に近い。
余談だが、マックでもテリヤキバーガー、モスでもチーズバーガーしか頼まないので、この三つは基本定番以外頼まない。
かじるのが得意ではなかったけれど、セブンティーンアイスでアイスをかじる事を学んだ。こうすればいい感じに食べれると、私は三年間セブンティーンアイスに鍛えられてアイスの食べ方を知ったのである。
ソーダ味の爽やかな甘みとバニラの濃厚なコク、そして何よりその鮮やかさが好きだった。透明で真っ青で、今を詰め込んだみたいな色彩に惚れ惚れしていたのだ。
実際思い出はそんな色彩で彩られている。決して情熱的な色彩ではなく、爽やかで溶けて消えてしまいそうな清涼感が鼻をツンとさせる。
いつもそれだと言われてもこれ以外食べたい物が思いつかなかった。チョコレートは好きだけど、アイスのチョコレートは好きじゃない。美味しさが半減している気がする。
オレンジシャーベットよりレモンが好きだし、コーラとソーダがあるならそっちを頼む。かき氷のシロップは自由に書けられる場合、コーラとレモンで彩るし、ラムネ味が一番好きだ。
昔から味覚が透明でビー玉みたいに転がる色彩を愛していた。
アイス片手に階段を上がり緩めたネクタイにシャツをはためかせた。こっそりスカートを折ってローファーをパタパタと鳴らす。次の授業まであと10分。食べ切れるだろうか、間に合うだろうか。そんな杞憂はいつもすぐ消え去る。
教室に辿り着き咥えながら次の授業の準備をしていた時、風が吹いてカーテンがはためいた。机の上に、水色の雫が落ちた。あ、と思った時には既に遅しアイスは溶け始め慌てて口の中に放り込む。
そんな日々が永遠だと錯覚していた頃の話だ。
ふと、自動販売機を眺めた。駅にあるセブンティーンアイスを買う人間はどのくらいいるのだろうか。多分少ないだろう、あれは校舎の中にあったからこそ意味を成していた。
すぐそこにコンビニがあるのならわざわざ自動販売機でアイスなんて買わないだろう。
随分大人になってしまったものだと悟る。青春という物語の一文を彩ったそれは、今も変わらず箱の中で輝いている。あの時より輝きを感じないのは時間が過ぎたから。
買おうか考えて結局止めた。今でもアイスはあまり食べない。物凄いレアな確率で食べる瞬間もあるが、買おうとは思わなかった。
これはきっと、今でも美味しいだろう。食べたら懐かしさに、笑みが零れるだろう。でも多分、戻れぬ時に焦がれる事になるだろう。
きっと、共有できる人がいなくて寂しくなるだろう。
青色の思い出はいつも、誰かに紐づけられている。これを食べても記憶に浸る事は出来るがそれを共有出来る人間はすぐ近くにいないのだ。
もっとも、作家なんてセンチメンタルを主とする職業でいる人間の情緒に付き合えなど不可能にもほどがあるだろう。
私は多分、人より多くの事に思いを馳せるから。過去や未来、日常のくだらない事、気づき。子供みたいにある気ながら考える。土に穴が空いていたら何がいるのだろうとか、変わった形の紫陽花に足を止めたり、陽が当たりチリチリと痛む肌に情緒を感じてしまう。
そういう生き物なのだ。
そんな生き物と同じ視点で世界を見てくれなどは不可能に近い。きっとセブンティーンアイスも、懐かしいねとは笑えてもあの日の情景を鮮明に描き出し鼻がツンとする事は少ないだろう。
だから、これは私の思い出の味の一つで、青い温度に触れる味なのだ。
いつか今日の事も思い出に紐づくだろうか。五感で過行く日を思い出してはくれるだろうか。
思い出してはにかめる時間が一秒でも増えたなら、私は生きてて良かったと思うのだろう。
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