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10年後には忘れてるかもね

時間は残酷で時に優しくて、


忘れられない現実があった。いつしか思い出になり過去と化す。過去になるのが先か、思い出になるのが先かは、そこに込められた想いがあるか否かで変わると思っている。

思い出はまだそこにあって時折思い出しては懐かしむ気持ちが存在する。けれど過去は過ぎ去った時間だ。概念と心情。思い出す事が出来ても、想いが消えてしまった日にそれは過去になると、私は考えている。

消えると言うのも霧散するのではなく、水の中に溶かしたインクのように揺蕩い、その後濁った水が蒸発して気化してしまうような感覚。一度溶ける時間があって、脳の片隅で生きていたのに、いつの間にかそこに割いていたリソースが無くなってしまった瞬間。

いつかは分からないが、確実に消えた瞬間があった。そこにあった想いが薄れ、完全に消失してしまった事。いい思い出だったとさえ言えなくなった事。声も顔も遠くなって、思い出にさよならと別れを告げる事も出来ず時が経った。


新宿の夜、始まりを語った時に気づいた。

制服を着てた頃、新宿のお洒落なバーで飲みながら作家になったきっかけを語るなんて誰が想像出来ただろうか。少なくとも私は想像出来なかった。だって、有り触れた人生を歩むものだと当時はまだ信じていたからだ。

有り触れた、よくあるテンプレ型の人生。

進学して就職して結婚して子供が出来て。よくある人生の転機。流れ。多くの人間が進んできた道筋を、私も通ると思っていた。それが悪いとは思わないし人によって違うのもいいと思う。でも、あの頃の私は本気で信じていた。

自分の幸福が他人から与えられるものだと思っていた。どれだけ人に恵まれようと、自分自身が気づかないと始まらないのに、いつだって貰えると勘違いしていた。

手を伸ばせば自分のものになっていた幸福ばかりが過ぎ去って、どうして貰えないんだと嘆く浅はかで甘えた思考の子供。だから、大衆が言う普通の人生に当てはまると思っていたのだろう。

が、当てはまらなかったから今ここにいるわけで。

アルコールを飲みながら考える。

いつから声を思い出せなくなったんだっけ。

どんな顔だっけ。

笑い方は?癖は?温度は?

いつから、脳にあった引き出しさえも消え始めたんだろう。


何があったか思い出せるのは過ぎ去った時間だから。でも、あの頃の私はどんな気持ちを抱いたんだっけ。どんな風に笑ったんだっけ。


時間は残酷だと常々思う。老化は避けて通れないし、記憶もどんどん薄れていく。

余談だが、先日食べ過ぎた時にシャワーを浴びたんだけど、腹がドラクエのきめんどうしみたいになってて老いを感じました。普段はそんな事無いんだけど、筋トレって大事だね。

ただ時間は残酷なだけでなく、心を癒すものでもある事。

傷ついた心は過ぎ行く時間の中で触れた物事により、鮮明ではなくなっていく。

そう考えると時間は悪いものでもないのかもしれないと思う。

寂しさも感じなくなって、夜はゆっくり更けていく。

いつか記憶さえ思い出せなくなる日が来る。

その日が来る瞬間まで、ただ時の流れに身を任せようと思った。

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